2009年 1月 29日 (木)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉121 望月善次 「空の眼」

 【啄木の短歌】

  月と日を空の眼と見てしより日夜われ
  かく安からずあり
  〔『歌稿ノート 暇ナ時』明治四十一年七月十八日〕

  〔現代語訳〕月と太陽とを「空の眼」と見てしまってから、日夜、私は、このように不安な心をもって過ごしているのです。
 
  【賢治の短歌】

  こぜわしく鼻をうごかし西空の黄の
  一つ目をいらして見ん。

         〔「歌稿〔B〕」68〕

  〔現代語訳〕(私は)何となく気ぜわしく鼻を動かして、西空にある黄色の一つ目(金星)を怒らせてみたいと思います。
 
  〔評釈〕啄木歌は『歌稿ノート 暇ナ時』中の作品。前後に置かれた「泣けといふ我と泣くなどいふ我の間に誰ぞやさは直に泣く」と「音もなく動きめぐれるかなしみの大渡津海の目なし鴎よ」の間に置いてみると抽出歌の作風がどんなものであるかの理解の一助となろう。一首の内容は、ある意味ではたわいのないもので、いわゆる「へなぶり歌」の系譜に属するもの。作品のレベルとしても大した作品ではないが、こうした作品を歌わざるを得なかった啄木の心中には共感するところもある。賢治歌は、「空の目」と言っても、金星(宵の明星)を歌ったものであるから、「空の目」の見立てという点では啄木歌のよりも平凡。ただし、「こぜわしく(小忙しく)」鼻を動かすことによって、「黄の一つ目」を怒らせてみようとするところは、「無生物」である「黄の一つ目」に対して、あたかも生物に働きかけるようにしている点において(これが比喩(ひゆ)的には「結合比喩」となる)賢治的。

(盛岡大学長)

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