2009年 1月 31日 (土)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉122 望月善次 西空の果て

 【啄木の短歌】

  西方の山のあなたに億兆の入日埋めし
  墓あるを想ふ
  〔「石破集」、『明星』明治四十一年七月号〕

  〔現代語訳〕西の方の山の遙か向こうに、億兆の入日を埋めた墓があることを想像するのです。
 
  【賢治の短歌】

  入相の西のうつろを見てあれば
  しばしば
  かつとあかるむひたひ
       〔「歌稿〔B〕」390〕

  〔現代語訳〕日の沈む頃の西の虚空を見ておりますと、ときどき額がかっと明るくなるのです。
 
  〔評釈〕日本人には、西の空には格別な思いがある。阿弥陀仏の「極楽浄土」に由来する「西方浄土」によるものである。今回の抽出歌は、共に「夕方の西」を歌ったものではあるが、「西方浄土」そのものを歌ったものではない。しかし、その背後に日本人共通の「西の空への格別な思い」があるのだとするのが評者の読み。啄木歌は、その西の山の彼方には、「億兆の入日埋めし墓」があるのだとするのが作品の核。自身の存在との関係で言えば、「軽い思いつき」に属するものであるが、猛烈な勢いで多量の作品を生み出した中の一首であり、それを「石破集」の中にも収めたということは、当時の啄木はそうした「軽い思いつき」を否定しなかったことを意味していよう。賢治の場合は、仏教的関心は啄木の場合と比べて、自身の行き方に深く関わっているから「西」への思いも、より深いものがあったろう。その思い入れのある「西」が、賢治的な「うつろ」と結合した一首。
  (盛岡大学長)

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