2009年 2月 3日 (火)

       

■ 大火の仮堂、107年ぶりに新築 光照寺の本堂

     
  4月に取り壊される光照寺の仮堂(08年4月撮影)  
 
4月に取り壊される光照寺の仮堂(08年4月撮影)
 
  盛岡市本町通2の6の24、真宗大谷派彦部山長誓山光照寺(千葉文雄住職)が107年ぶりに本堂を新築している。1902年(明治35年)、名須川町付近で起こった大火により本堂を焼失して以来。歴代住職や檀家らの協力により積年の思いがようやく実を結ぶ。4月完成予定。

  1902年、名須川町では4カ寺を焼く大火にみまわれ、同寺は家財、寺宝などすべてを焼いた。財政難から「いつか必ず、本堂を立てよう」と皆で誓い、仮堂を現在の地に造ったという。

  現在の本堂(仮堂)は木造の瓦屋根づくり。築100年を越え、老朽化もはなはだしかった。千葉住職によると、冬には雪の重みで柱がきしみ、襖が開かない状態だった。現在、工事は大詰めを迎えているが、これまでの道のりは平易なものではなかったという。

  同寺は盛岡城の外堀跡(遠曲輪)の上にあった。文化財保護法により新築の場合、発掘調査が必要となる地域。06年11月からの調査では寺町窯(よう)跡も確認され、盛岡藩の家紋が入った軒丸瓦などが発掘された。

     
  銅ぶきが美しい完成間近の光照寺(本堂南側)  
 
銅ぶきが美しい完成間近の光照寺(本堂南側)
 
  調査費用は同寺が負担した。同寺の正面にある樹齢300年ともいわれる伽羅(きゃら)木の移植などと合わせ数百万円の支出になった。そこに銅の高騰が打撃を加えた。一時、屋根の銅ぶきはあきらめざるをえないとも覚悟した。

  完成に向かう新本堂は入母屋造り。久慈設計が設計し菱和建設が施工。鉄筋コンクリート造の本堂(321平方メートル)と木造庫裏(431平方メートル)で総建築費は約2億円。本殿は真宗大谷派主流の七間四面三間内陣。同寺に伝わる阿弥陀如来像を安置する。また、以前は不便を感じていたという内部もバリアフリーにした。広い本堂に「これからは参拝だけでなく、多くの人に開かれた空間にしたい」と考えている。3月31日が引き渡し。永く愛されてきた国道455号沿いにある現本堂は4月中に取り壊す。

  千葉住職は「100年経つが当時の檀家や住職の思いがようやく実現した。建築できた時に生きていられる喜びをみんなで感じている」と感慨深げに語っている。

  同寺は浄土真宗開祖の親鸞聖人の弟子、信圓によって開山された。1213年(建保元年)、親鸞聖人の高弟二十四輩の一人、是信房とともに東北教化のため紫波郡彦部村を訪れた。これが彦部山光照寺の根基となった。第17世圓誓の時、1573年(天正元年)、三ツ割(現在の三石神社の後)に転じ、1902年(明治35年)に現在の地に移った。

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