2009年 2月 8日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉11 小川達雄 入学宣誓式11

     七、合格

  三月二十九日に入学試験が終了すると、あとは合格発表を待つばかりである。合格者名は本館前左側の掲示板に貼りだされるが、それは月の改まった四月初めのことであった。

  この合格については、父・政次郎の姪・ハルによる次の一文がある。

  「『敏子様大変お嬉しそうでいらっしゃ
   いますね。』
   『うちの兄が盛岡高等農林の受験にパ
スしたとうちから手紙がまいりまして』

  とにっこりなさいました。

   このお話は大正四年の春四月、目白の
  日本女子大学責善寮の一室で、その当時
  もっともハイカラだった栄螺(サザエ)
  の壺焼のような髪を結うた賢治さんの妹
  さんの敏子さんと私との対談でございま
  した。この時私は賢治さんは農学方面に
  進まれるのだということを知りました。」

  (「追憶」『宮沢賢治研究資料集成』J)

  この時はまだ、賢治の首席合格は知られていない。敏子(トシ)はただ兄のパスに安堵し、嬉しさに包まれていたのであった。

  この時の敏子の声を聞くと、その部屋には、一輪の花がほんのり開いていたように思われてならない。

  さて盛岡高農では、入学宣誓式よりも前に、四月八日(木曜)から授業が始まる。寄宿舎には六日に到着した者もいたが、その初めてやって来た時の思いを、二つの回想によって紹介しておきたい。

  まず、賢治の同級生で後に高農教授となった成瀬金太郎は、こう記していた。

  「大正四年四月、漸く春めき初めた香川
  鹿庭から東北岩手の盛岡へ勉強に単身旅
  立つ事は覚悟の上とは云え勇気を以て出
  発。愈々盛岡駅に下車、北上川を渡り白
  雪の岩手山を仰ぎつつ上田の高農自啓寮
  に落着いた時、初めて先輩の親切友情の
  有難さをしみじみと感じた。」(『成瀬
  金太郎小伝』)

  遠い香川からは、盛岡には一大決心を抱いてやって来たという。「先輩の親切」というのは、駅まで迎えに来てくれたことなどを言っているらしい。

  農学一部に入った群馬の永井一雄は、こう記していた。

  「私は今を盛りと咲き誇る桜の花をあと
  に、東京、上野駅から東北本線に乗つて
  初めての土地、盛岡市に直行した。下り
  立つた盛岡駅前の景観、それはひそかに
  胸に画いていた美しい田園都市とは、お
  よそ違つた寒むざむとした軒の低い煤け
  た街並で、軒下にはまだ所々に残雪があ
  つた。然しこれは春を待つ寒国の一番淋
  しい時の風景であつて、間もなく冬の衣
  を棄てて緑となつた杜陵は、その名にふ
  さわしい秀麗な都であつたが、それはそ
  の日より暫くあとのことであつた。私が
  初めて宮沢君を知つたのはこのような早
  春の入学式の日であつた。」(『周辺』)

  初めての盛岡に、新入生はこのようにしてやって来、入学宣誓式を迎えるのである。



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