2009年 2月 10日 (火)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉125 望月善次 玻璃幻想2つ

 【啄木の短歌】

  水晶の宮の如くに数知れぬ玻璃盃を積
  み爆弾を投ぐ

  〔「石破集」、『明星』(明治四十一年七月)〕

  〔現代語訳〕水晶でできた宮殿のように、数知れぬ沢山のガラスの盃を積んで、そこに爆弾を投げるのです。
 
  【賢治の短歌】

  そらはまた
  するどき玻璃の粉を噴きて
  この屋根窓の
  レースに降らす。

    〔「歌稿〔B〕」672〕

  〔現代語訳〕空はまた、鋭いガラスの粉を噴いて、それを、この天窓のレースに降らすのです。
 
  〔評釈〕「玻璃(はり)」は、元々は、梵語の「sphatika phalia」に由来し、七宝の一つの水晶のこと〔『広辞苑』〕。しかし、多くは「ガラス」の別称として用いられ、ここではその例。賢治の、あの「精神歌」の三番「日ハ君臨シ玻璃ノマド」を思い浮かべられる方も少なくないであろう。啄木歌は、グラスを高く積み上げてそこにシャンペンを注ぐ、所謂「シャンペン タワー」のようなイメージが浮かぶかも知れぬが、そこに「爆弾を投ぐ」ところが啄木らしい。賢治作品の「玻璃」は、比喩(ひゆ)的な「玻璃」。一首全体は、光が降り注ぐ場面などが想像できようが、美しいイメージになっている。「賢治は光るものや透明なものの比喩に好んでガラスを用いている。……〔風の又三郎〕の窓ガラスが物語を異次元に導く幻想の装置になっているように賢治作品のガラスはしばしば聖性さえ帯びて、空間を変換異空間の装置になっている。」〔『新宮澤賢治語彙辞典』〕が示唆深い。

        (盛岡大学長)

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