2009年 2月 10日 (火)

       

■ 〈夜空に夢見る星めぐり〉226 八木淳一郎 ガリレオの贈り物(その3)

 「中心には太陽があって、地球はその周りを回っている」とする地動説は、ガリレオの生まれる20年ほど前にポーランドの天文学者ニコラス・コペルニクスが唱えたものです。

  力学に関心が深かったガリレオはこの考えに共鳴し、そのことを同時代のドイツの天文学者で数学者であるヨハネス・ケプラーに手紙で伝えています。望遠鏡を星空に向けて次々に思いもかけない発見をする、そのおよそ10年前のことでした。

  しかし、亡くなって随分とたつのになおコペルニクスが非難されている、そのことを思うと、ローマ・カトリック教会のお膝もとに居るガリレオとしてはこの考えを公にすることをためらうのでした。

  時代を越えて、権力や宗教といったものがいかなるものか考えさせられます。しょせんはすべてどろどろとした人間の所業だということでしょうか。

  かつてのコペルニクス自身も、世間に真っ向から異議を唱えることによって悲惨な結果がもたらされることを知っていましたので、地動説を著す「天球の回転」を出版したのは死のまさしく直前になってのことでした。

  ところでガリレオが手紙を送ったケプラーという人は、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの観測助手を勤め、ティコの亡き後も肉眼での観測を継続して得られた火星の軌道の精密なデータをもとに、有名な惑星の運動に関する3つの法則を発見します。

  その第一法則の発表はくしくもガリレオが望遠鏡を人類史上初めて宇宙に向けた1609年のことでした。その3年後には現代の望遠鏡の原型となるケプラー式望遠鏡について述べた屈折光学という著書を出版します。

  一方、師匠のティコ・ブラーエは、それまでの天動説とも地動説とも違うティコの体系というものを考案しています。それは、中心には地球があってその周りを太陽と月が回る。そして諸惑星や彗星は太陽の周りを回っている、という地動説と天動説の折衷案とも言うべきユニークなものです。

  さて、地球が中心にあるとする天動説が長く人々に支持されたのは、キリスト教の教義に沿っているためというばかりでありません。歴史はずっと逆上り、紀元前300年代ギリシャのアリストテレスの考えや教えがその後の長きにわたって科学や哲学や思想など実に様々な分野に影響力を持っていたのです。

  アリストテレスはマケドニアのアレキサンダー大王の若き日の教師としてもつとに有名ですが、彼は宇宙の中心に地球があり、月や各惑星が同心円状に並び、世界は月より上と下の2つに分かれると考えました。

  そして、月より下の世界は水と土と空気と火の4つの元素から成り立っていて、月より上の世界にはエーテルが満たされていて惑星の動きに影響を与えていると考えました。

  時おり現れる彗星や新星などはみな地球の大気中の気象現象であるとしました。

  こうした考えは16世紀に至るまで常識とされ、権威ある学者たちに守られてきたのです。これに対してティコは、新星も彗星も、惑星と同じように遠くにある天体であると考えました。地動説こそ支持しなかったものの、ティコは強固な壁に一つの風穴をあけた人と言えるでしょう。1572年のカシオペア座超新星は「ティコの星」として、天文学史に名をとどめることになりました。

(盛岡天文同好会会員)

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