2009年 2月 14日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉12 小川達雄 入学宣誓式12

    八、寄宿舎

  宮城からやって来た高橋秀松(農一)は、賢治との初対面をこう記している。

  「賢さんと初めて会つたのは大正四年四
  月盛岡高等農林学校の寄宿舎南寮一号室
  であつた。一室の定員は六名、内新入生
  は各科から一名宛で四名。賢さんと私と
  は机を並べ、寝場所も隣り会つていた。」
  (川原『周辺』)

  部屋には縁のない畳が敷かれて、黒い座り机が窓べに並んでいた。室長は農一の三年渡辺五六(特待生)であるが、渡辺は賢治の印象について、次のように記した。

  「五十年後の今日迄宮沢君の特徴として
  強く僕の目に残るものは、宮沢君の眼の
  周囲が紅かつたことで、つまり眼臉が普
  通の人よりも特に紅色を帯びていたこと
  である。宮沢君は純朴、真面目な若い好
  青年であつた。この当時、晩学の者が少
  なくなかつたのに宮沢君はまだ人ずれの
  していない、どちらかと云えば東北育ち
  の土のかおりのする若者という感じであ
  つた。」(川原『周辺』)

  渡辺は賢治に、好青年の印象を持ったという。そしてこの上級生との関係について、後に賢治を補佐した副級長の塩井義郎は、

  −高農では上級生に対して敬称を使わな
  い。部屋の掃除でも会話でも、みな平等
  の立場でやっていた−
  と語る(『前掲書』)。

  賢治はこうして同室の友に恵まれ、新しい学校生活に入ることとなったが、さて授業が始まって間もなく、賢治は生徒課から、新入生代表としての宣誓文朗読を委嘱された。賢治は、全体の首席で合格したのである。前年の宣誓文はあったものの、これは賢治だけで書かなければならない。

  寄宿舎では賑やかな歓迎の行事が続く中で、賢治はひとり宣誓文の内容を考え続けていた。しだいに文案がまとまってくるうちに、賢治には、やってくる入学宣誓式の時の自分の姿が、しぜんに浮かんで来たはずである。

  ※今回は「大正四年盛岡高等農林学校一
   覧」巻末の「建物配置図」からその一
   部を掲げた。寄宿舎での賢治の部屋は
   〓印の位置で、↑印は当時の正門から
   本館までの経路を示している。
   図の右下「第一校舎」が農学一部、図
   中央の「第二校舎」が農学二部。その
   間を屋根付き渡り廊下が繋いでいた。

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