2009年 2月 17日 (火)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉128 望月善次 朝の霧と夜の霧

 【啄木の短歌】

  霧ふかき好摩の原の
  停車場の
  朝の虫こそすずろなりけれ

     〔『一握の砂』244〕

  〔現代語訳〕霧の深い好摩の原の停車場の、あの朝の虫に何となく心を引かれるのです。 

  【賢治の短歌】

  夜の底に
  霧たゞなびき
  燐光の
  夢のかなたにのぼりし火星

    〔「歌稿〔B〕」365〕

  〔現代語訳〕夜の底に霧がただなびいて、燐光の夢の彼方に昇った火星なのです。
 
  〔評釈〕啄木歌の「朝の霧」と賢治歌の「夜の霧」を取り上げる。もっとも、前回も述べたように賢治作品においては、「霧」はよく取り上げられている素材であり、例えば「あかつきの/峠の霧にほそぼそと/青きトマトのにほひながるる〔「歌稿〔B〕」570〕と「朝の霧」の作品もある。さて、啄木歌に戻って二つのことを指摘しておこう。一つはこの作品が東京で詠まれた望郷の作品である点である。当時の渋民からの乗車駅であった「好摩」は、望郷の装置として有効に働くものの一つであったろう。もう一つは、「すずろ(漫ろ)」である。「これという確かな根拠も原因もない関係もない、とらえ所のない状態」〔『岩波古語辞典』〕で、ここでは、「何となく心が引かれる」意。「何となく」というのは望郷の念が弱いのではない。賢治好みの「霧」は、賢治に特有な「底」感覚や「光輝への敏感」〔『新宮澤賢治語彙辞典』〕の「燐光」によって「火星」を完成させる。

(盛岡大学長)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします