2009年 2月 25日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉113 伊藤幸子 「梅便り」

 梅の花今盛りなり百鳥
  (ももとり)の声の恋(こ
  ほ)しき春来たるらし

小令史田氏肥人
 
  「天平二年正月十三日、師(そち)の老の宅に集りて、宴会をひらきき」という序を添えて、万葉集巻五に「梅花の歌三十二首」が載っている。「時に、初春の令月にして、風やはらぎ梅は鏡前の粉をひらき、庭には新蝶舞ひ…」と、如何にも風雅な平安貴族たちの宴の様子がみてとれる。この日、大伴旅人邸に集った32人の歌人の梅花詠は、現代人が読んでも気品にあふれ、管弦に合わせた声調までも聞こえてきそうだ。

  「梅は鏡前の粉をひらき」とは、鏡の前のおしろいのように白く咲いているとの謂(いい)、その感性にも打たれる。春ことぶれの花を愛で、かんざしのように髪に挿し、また杯に花びらを浮かべて長寿や活力を祈ったともいわれる。

  水戸黄門光圀公は、領国茨城に「水戸偕楽園」を造り、広大な敷地に梅林を育て、梅干しは地場産業として今に至っている。園内の古道は延々と続き、梅香を運ぶ微風が方十里に漂う。

  そんな中、春風のどやかな声で「こちら、梅が満開だよ」と電話をくれたのは黄門さまの国の歌人、バレンタインデーの午後だった。「毎年、この日に咲くのね」と笑うと、「生きてる間に、本命が送られてくるかと思ってさ」と応じて近況を語り合った。

  かの地では、桜梅桃李一斉に咲くということはなく、いち早く咲いた梅が花時が長く、追いかけて桃、辛夷(こぶし)、桜、梨など順々に咲いてゆく。「ウグイスはまだ、きないんでしょう?」と言うと、「それも例年の合言葉だね」と笑う。茨城に住み始めたころ、「○さんはまだ、きないようです」という活用に驚いた。

  「まさに今、〈春の苑くれなゐ匂ふ梅の花下照る道に出で立つをとめ〉の景色なのね」とハイテンションのわたしに「ウン?それ、モモでなかったっけ?」とひと声。かつて茨城の短歌会ではともに「若手」だったわたしたちも還暦を過ぎ、記憶力があやしくなっている。これは「梅の花咲きみだりたるこの園にいで立つわれのおもかげぞこれ」の、斎藤茂吉の歌といつの間にか混同していたらしい。相変わらずのそこつさで、今年の梅便りは甘酸っぱい名残を引いている。

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