2009年 5月 2日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉34 小川達雄 青春8

     一、南昌山発見

  次は「独乙冠詞」の歌に続く、南昌山をうたった作品を二つ、取り上げてみたい。
  これは賢治の歌の中でも特徴的な、それこそ賢治がそのままあらわれているような作品であって、そこからは大自然に対する賢治の本来的なありようと、関教授から学び始めた地質学の第一節とが、ストレートに伝わってくるように思われる。
 
  まくろなる
  石をくだけばなほもさびし
  夕日は落ちぬ
  山の石原          二三九
 
  毒ケ森
  南昌山の一つらは
  ふとをどりたちてわがぬかに来る
                二四〇

  盛岡市から西南約十二キロの地点にある南昌山は、奥羽山脈の美しい山として知られている。標高八四八メートル、その丸いお椀を伏せたような山容は、岩手公園に近い中の橋から、あるいは天満宮の階段の上から、遠く眺めることができた。

  賢治は明治四十二年、盛岡中学の寄宿舎では同室の藤原健次郎(一年上)に教えられてランプを磨き、翌年にはいっしょに、「のろぎ山」へ出掛けた。「のろぎ山」というのは、南昌山の東側を流れる北の沢からそそり立った、急斜面の山である。

  のろぎ山のろぎをとりに行かずやとまた

  もその子にさそはれにけり

  「その子」とは、親友・藤原のことで、藤原は三年生の夏、野球部の秋田遠征から帰った直後に急逝した。この歌は昭和五年頃、亡き友をしのんでつくられたが、その頃使用の「『東京』ノート」には

  「盛中二年一学キ 藤原健次郎 南昌山
    家 同水晶 同頂上 藤原 野球
    ウツ  二学キ 藤原 死ス 」
  とメモされていた。

  その「のろぎ」は、南昌山の歌二首を刻んだ賢治歌碑附近から、いまも拾うことができる。南昌山は、賢治にとってはなつかしい、思い出の山であった。

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