2009年 5月 3日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉35 小川達雄 青春9

    二、続・南昌山発見
  また、南昌山の歌をあげておく。
 
   まくろなる
   石をくだけばなほもさびし
   夕日は落ちぬ
   山の石原        二三九
 
  この「山の石原」というのは、南昌山の麓、現在では煙山ダムに隣接する樹林地帯のことである。そこには岩崎川が流れていて、賢治は夕日の沈んだ暮れ方、しきりに石をくだいて、なおもさびしさを感じた、とうたった。それはいったい、どんなさびしさであったのであろう?

  わたしは松本隆氏(地元の賢治研究家)のご案内によって二度、その地を尋ね、高農時代の賢治について、今回は及川昭四郎氏(東北大、地質学科卒)と、あらためて岩崎川の石原を歩いてみた。

  すると氏は、無造作に「まくろなる石」を選び、全身の力をこめてハンマーを振り下ろした。バシッ、バシッ、激しい音とともに石は砕け、安山岩の素顔をあらわしたが、わたしは思わず、ハッ、とした。

  そもそも、激しい打撃と「さびし」とがいっしょというのは、ふしぎである。しかしながら、賢治には岩石の調査が血肉化された営みであったからこそ、激しい打撃とともに、深いさびしさを感じていたのだ−こう、気がついたのである。

  「さびし」を焦点とした賢治の童話には「鳥をとるやなぎ」があったが、それは鳥を吸い込む野原のやなぎを求める、一個の探求物語であった。そこでは、一群の百舌(モズ)がいきなり楊(ヤナギ)の木の中に入ったり、百舌がにわかに飛び立つありさまを目にして、主人公(賢治)はさびしい気持ちになった、と語っている。それは、まだ知らなかった天地の神秘を目にした、少年の切ない思いであったろう。

  すると賢治は、いまや岩石のなまなましい断面に接して、同じくさびしい気持ちになった、ということであろうか。そのおごそかなまでの鉱物の配列、にぶく光る石の膚。賢治は大自然のやみがたい摂理とその法則の前に、思わずつつましくなっていた−それが、まくろなる石を砕いた時の気持ちであったのではあるまいか。

  それに、場所は落日のたそがれ時を迎えて、暗くなりかけた石原である。そこは亡き親友、藤原健次郎とのろぎ石を求めて、あるいは鳥を吸い込むやなぎを探して歩いた、なつかしいふるさとであった。さびしく思う、もともとの条件は揃っていた。

  するとこの歌には、夕暮れが訪れて来た南昌山一帯の静けさをバックとして、賢治は岩石のなまなましい、いわば生成に至るまでの変動を、その断面から感じ取っていた−そうした敬虔な思いが、石原のさびしさとともに語られているのであろう。

  これは地味な表現で終始しているけれども、賢治の青春のひとふしを語る歌、といえるのではなかろうか。

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