2009年 5月 5日 (火)

       

■ 田屋清さんが著書「原敬が密書を託した男」 東洋のビール王、馬越恭平を紹介

     
  「原敬が密書を託した男〜『東洋のビール王』馬越恭平」を発刊した田屋清さん  
  「原敬が密書を託した男〜『東洋のビール王』馬越恭平」を発刊した田屋清さん  
  盛岡市の田屋清さん(85)がこのほど、「原敬が密書を託した男〜『東洋のビール王』馬越恭平」を発刊した。時は1918年(大正7年)。米騒動で緊迫した世情を受け、風前のともしびとなった寺内正毅内閣。賊軍出身とさげすまれた原敬が、悲願の総理大臣への就任を懸けて秘密文書を託したのは、正式な党員でもない財界人の馬越恭平だった。同書ではその経緯を明らかにしながら、2人の交情をひもとく。

 馬越恭平(1844〜1933年)は岡山県出身。サッポロ、アサヒ、ヱビスの3大ビール会社を合併、大日本麦酒株式会社社長として90歳まで務め「東洋のビール王」と呼ばれた。

  原敬(1856〜1921年)と知り合ったのがいつかは明らかではない。だが馬越が50代、原が40代のころから66歳のその死まで、親しい心の友として互いを支え合ったという。

  原にとって政治家としての最大の危機となった総理大臣就任前夜。政敵でもある内閣総理大臣寺内正毅は、元老山縣有朋らを背景に政権維持に固執。原は政党・政友会への政権奪取を目指していた。

  当時、原は盛岡に滞在中。情報収集にたけた原は、盛岡に居ながらにして、現政権が長くないと見抜いていた。東京の党幹部は党首の原の不在に困惑し、帰還要請を必死に打電。だが、原は盛岡を動かなかった。

  8月17日、原は馬越に極秘文書を託す。馬越はその夕方に盛岡を列車でたち、翌18日の早朝に党総務の幹部に無事に届けた。

  極秘文書にしたためたのは総理大臣の座への秘策。人事か、政策か、原敬日記にもその内容は記されていないという。結局万策尽きた山縣は、原を第19代内閣総理大臣に指名した。

  田屋さんは「馬越は豪放らいらくで人柄がよかったといわれる。自分と同じように、人をだましたり策略を用いなかった原とは気心が合ったのでは」と分析。「原が密書を託す相手は腹心でなければ。馬越は政友会の党員ではないが、原にとっては心許す人だった。馬越も『原の言うことなら聞いてもいい、原の言うことなら誤りはない』と思っていた」と2人のきずなに思いをはせる。

  同書には盛岡タイムス紙上で2001年1月から6月まで連載されたものを中心にまとめた。207ページ、定価は1300円(税別)。問い合わせはケアガーデン高松公園(郵便番号020−0102、盛岡市上田字毛無森2番地7)内の田屋さんまで。

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