2009年 5月 6日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉123 伊藤幸子 「古草・新草」

 おもしろき野をばな焼き
  そ古草に新草(にひくさ)
  まじり生(お)ひは生ふ
  るがに
  万葉集巻十四
 
  空気が乾燥している。春先、防災無線ではしきりに火の始末をよびかけているが、今は簡単に野焼きができなくなった。春耕、田んぼに水が入る前に、うちの地区では恒例の農業用水路の堰(せき)上げ作業が一斉に行われた。私などは一枚の田んぼも耕さず、土地改良区の恩恵に浴してはいないのだが、参加しないとまずいので、その日は早朝から鎌を手に「名ばかり組合員」の役割を果たす。

  ことしはあいにくの雨だった。男性達は「どうせ川に入るんだから降っても照ってもおんなじだ」と言うけれど、葦(よし)や枯草を刈り運ぶのに、頭からどしゃぶりの雨を浴びてなんとも意気の上がらない作業だった。

  あちこちに積み重ねた枯草の山に「火、つけるか」「いや、高速道路さ煙行くからやめるべ」と、ことしはバーナーでの火つけ担当役の出番はなかった。

  年一度の春の共同作業。思えば万葉の昔から、新生の春は心を浮き立たせ、ことにも巻十四東歌は詠み人知らずの素朴な作業歌が多い。掲出歌は「せっかく眺めのいい景色の野を焼かないで下さい。古草に新草がまじって、芽が出たら伸びるように」との解釈。

  でも野焼は春の一大行事。民謡「長者の山」では「山さ野火ついた 沢までも焼けるナー なんぼがわらびっこ サァサほげるやらナー」と歌われるがこれなども「草がよく芽を出すように春の初めに野の枯草を焼く作業」とある。

  続く東歌「佐奈都良(さなつら)の岡に粟(あは)蒔きかなしきが駒はたぐとも吾はそと追(も)はじ」。意は「さなつら(地名不詳)の岡にアワをまいて、恋人の馬がそれを食べても、私はソッとも追うまい」。そしてまた「長者の山」では「さんかみやまの さなづらぶどうっこナー わけのない木に サアサからまらぬナー」と歌う。

  春の野に、わらびの成長を願い、岡には恋人の馬が粟を食(は)む風景−。一千年など一炊の夢。古草にやわやわと新草のそよぎを見て、おもしろき野に盛る長者の山こそ、サァサ末長くと歌い継ぐ声がこだましている。

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