2009年 5月 11日 (月)

       

■ 〈トシコズ・ドリーム〉17 照井顕 心をおこす原点

すべての事柄には始まりがあり、そうなるきっかけというものがある。それは人の生き方の原点になるものといっていいかも知れない。

  ジャズピアニスト・穐吉敏子さんが音楽を始めた動機は、彼女が小学校1年生の時に上級生が弾いた、トルコ行進曲を聴き、私もあんな風にピアノを弾きたい!と思ったのが始まり。母親のアキさんが止めなければ一日中でもアキずに弾いていたという。プロになる理由も「ピアノに接していられるから」だった。

  穐吉さんにとっての、心に残るコンサートというのは53年11月3日、有楽町にあった日劇で聴いた、JATPのオスカーピーターソントリオの演奏だという。そのオスカー氏はその直後に穐吉さんの演奏を銀座のナイトクラブで聴き、感激。10日後には、自分のサイドメンを使わせて、レコーディングまでさせ、アメリカでメジャーデビューさせたのだから出会いとは不思議な他力が加わる始まりでもあるのだ。

  話変わって09年4月29日、釜石市民会館で、作曲家・船村徹さんの講演を聞いてきた。主催したのは、釜石オリジナル歌謡同好会。会長を務め、作詞家でもある長柴政義さんは1989年からこの会を立ちあげカラオケ大会を開き、何人かの歌手を羽ばたかせてきた人で、僕も会の最初から年一のグランドチャンピオン大会の審査員をやっているのでの招かれた。

  岩手と船村氏とのかかわりといえば、鈴木善幸首相時代、三陸鉄道開業と普代村水門(防波堤)の完成を記念して、普代村が作ったシングルレコード「俺の北緯40度」。歌っているのはデビューまもない鳥羽一郎。もちろん作曲は船村氏、栃木県船生村生まれゆえ、船村とした芸名だ。(本名福田博郎)。

  講演は作曲家生活60年の原点。始まりの話だった。東洋音楽学校時代にコンビを組んだ「別れの一本杉/春日八郎」の作詞家、高野公男氏との思い出。その相棒との原点がなかったらこの60年は別!。「心は死ぬことのない命だから、心をおこそう」としめくくった。

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