2009年 5月 12日 (火)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉13 望月善次 北上の川は遠くに

 北上の川は遠くに流れ去りて さびし
  く春の光をぞ吸ふ
 
  〔現代語訳〕北上川は遠くに流れ去っています。(ああ、この川も)寂しく春の光を吸っているのです。

  〔評釈〕「春日哀愁篇」十七首〔『アザリア』第1号〕の十三首目。「流れ去りて」の後の空白は、原文のもの。川を見つめる場合、自分の位置から正面をみつめる場合、上流を見つめる場合、下流をみつめる場合があるのだが、「流れ去り」とあるから、この話者の視線は、下流に向かっていることになる。当然、その川の流れ自体には、感情はないわけであるが、「春の愁い」を有する話者からすれば、「さびしく春の光をぞ吸ふ」と思われるのである。特定の話者の立場から叙述せざるを得ない文学の性質からすれば、どんなに客観的に見える叙述にも、それを切り取った話者の選択が働いているわけだから、「純度100%の客観的叙述」など存在しないわけである。抽出歌も、客観的衣を纏(まと)いながら、そこに話者の感慨を色濃く反映させている作品だということになる。山梨県出身の嘉内の北上川に対する感慨と岩手県出身者のそれとの比較等になると、伝記的研究の範疇(ちゅう)に分け入ることになる

  (盛岡大学長)

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