2009年 5月 13日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉124 伊藤幸子 「きららかに」

 きららかについばむ鳥の 去りしあと長くかかりて 水はしづまる
  大西民子

  5月9日、雲ひとつなく晴れ渡った空の下、大西民子歌碑の除幕式が行われた。朝からぐんぐん気温が上がり、半袖姿の子供たちも通る上の橋のたもと、ハラリと白布が引かれると、匂いやかな民子の筆跡が表れた。掲出の歌である。黒い碑面に5行ずつ、ななめに彫られた字句は、音符のようにも、また、今しも飛び立とうとする鳥影のようにも見える。

  この歌に、世界的なチェロ奏者の平井丈一朗氏により曲が付けられ、盛岡二高の生徒さんたちの歌も披露された。旧校歌の「雪間に匂うしらうめの」の方はわたしの在学中は新曲に変わっていたので今回一緒にはうたえなかったが、先輩方には涙を見せる姿もあって感慨深かった。

  民子の興した「波濤」短歌会の方々が全国からかけつけられ、民子の教え子の皆さんや同窓生など、すぐうちとけて話せるふんいきがうれしかった。係累のひとりもいない除幕式というのも珍しいが、わたしは参集のある方と話しているうち、不意に民子の声を聴いた。その方の恩師は民子より7歳ぐらい年下で、お酒が大好き。「民子の酒」の話になると、30代はじめのわたしなどには実にまぶしく刺激的だった。

  昭和53年秋、茨城全県短歌大会の折、高萩市で民子にまみえた。洗いたての髪、美しいソプラノで話され、わたしが不肖の後輩だと名乗るとやおら私の手を取られ、「観てあげる」といわれたことを、昨日のように思い出す。そして「ひとすぢの光の縄のわれを巻きまたゆるやかに戻りてゆけり」の色紙を目の前で書いて下さった。それを今回の企画展に提出している。

  奈良女高師での民子の足跡も、昨年秋ゆくりなく公開中の同大学を見学する機会に恵まれた。栗色の「百年ピアノ」に、民子の指が躍ったかと胸が高鳴った。

  平成6年、岩手日報「詩歌の窓」担当の正月に、民子の訃を知った驚き。わたしの仕事始めは偉大なる先輩の悲報から始まったのだった。人にはいくつか、忘れ得ない接点がある。その度に、深く影響を受けた方の声やたたずまいがよみがえる。きららかに、今日の接点を忘れぬよう、わたしは陽春の初々しい歌碑を目に焼き付けた。

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