2009年 5月 16日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉38 小川達雄 青春12

    一、恋の終末

  標題の「賢治の青春」−その恋の終末を記すについては、とくに、初恋の人との最後のシーンを語る、賢治の次のメモに注目しておきたいと思う。

  「農林一年
  病院木村ト一目ミル 夏休ミ」(「『東
  京』ノート」)
  「四月 高農一年 実習
  木村とふたゝび見る。樹もあ、り、廊柱
    の陰影もあり。」
        (「『文語詩篇』ノート」)

  賢治は昭和五年頃に使用した二つのノートに、こうしたメモを残している。これだけではなんのことか、大変わかりにくいが、賢治は中学卒業後間もなく、蓄膿症手術のために岩手病院に入院して、その時の看護婦に恋心を抱いていた。

  このメモは、その一年ほど後に再び病院を訪れ、初恋の看護婦をひと目見た、その時のことを語っている。「一目ミル」というのは、たったそれだけでも、〔これが最後〕といった、賢治の切なさが伝わってくるように思う。

  「木村」とはその時の同行者であろうが、それはいったい誰で、またその看護婦はなんという人であったのであろう?このメモからは疑問が次々に湧いてくるが、まず、賢治がその人を慕わしく思った最初の頃のことから、順を追ってたどってみることにしたい。
 
  まことかの鸚鵡のごとく息かすかに
  看護婦たちはねむりけるかな  九二
 
  当時の看護婦宿舎は、岩手県庁の後ろの、二階建てヒノキ造りの建物であった(現在、その地は広い駐車場になっている)。賢治は病棟の二階から、瓦葺きのその建物を見ることがあったらしい。

  鸚鵡(オウム)はめずらしい西域の霊鳥であって、これは看護婦の白い帽子、肩と袖がふくらんだ白衣の姿からの連想であったろう。ここには看護婦たちの聖化が認められるが、次の「息かすかに」という表現についても、賢治は安らかなねむりの世界への、清浄な気配を感じ取っていたことがわかる。

  この歌は、複数の「看護婦たち」からやがて一人の看護婦へ、賢治の思いがしだいにしぼられてゆく頃の、ほのかなときめきを語っていた。

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