2009年 5月 17日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉39 小川達雄 青春13

   二、続・恋の終末

  賢治はその後、朝の検温にやってくるその人を、「十秒の碧きひかり」と歌った。その人が体温計の目盛りをメモする十秒ほどの時間を、天来のひとときのように感じたからであろう。そして賢治は、賛嘆の思いとともに、こう歌った。
 
  すこやかに
  うるはしきひとよ
  病みはてて
  我が目黄いろに狐ならずや  一一二
 
  この〔うるはし〕というのは、源氏物語などでは天皇に対してのみ用いられる、最高表現である。しかし賢治は、その人が美しければ美しいだけに、(自分は恰好だけつけている、狐ではないのか)とひどく悩んでいた。

  ここのところ、「狐」の登場はいかにも変わっているが、これは恋心をうたいあげると同時に、賢治はわが身をかえりみていたのであろう。これは後の童話「土神と狐」の世界であって、そこでは美しい樺の木(桜)をめぐる、一本気な土神と気取りやの狐との争いが語られていた。賢治の恋は精神的であっただけに、その舞台は別の次元にまで広がる、物語へのモメントを含んでいたのである。

  賢治は恋の思いを告げることもなく、桐の花が咲く五月に退院した。その後は花巻の家で、その人をひたすら思い続ける。
 
   雨にぬれ
   桑つみをれば
   エナメルの
   雲はてしなく
   北に流るゝ  一二九の次(挿入歌)
 
  宮沢家の桑畑は、家から五百メートルほど離れた、豊沢川の右岸にあった。賢治は雨に濡れて桑を摘み、北へ流れる雲を仰いでいた。

  大正三年六月十九日の岩手日報には、ただいま花巻地方の蚕は「四眠中なり」という記事があった。ふつう、蚕は四週間で熟蚕となって繭をつくる。蚕は四度の眠りの後、八日ほどで透き通った熟蚕となるが、すると熟蚕となるのは二十六日頃、という勘定である。六月の降雨は、一日と三日、九日。これは蚕が伸び盛りの九日、降雨量十ミリの日であったろうか。

  〔摘む〕というのは、万葉では募る思いを語るしぐさである。賢治はそんな民俗など、知るよしもなかったであろうが、いくばくかの雨に、すっかりしおれていたらしい。賢治の苦手な、塗り込めたような雲は、その時北へ北へと流れていく。

  (あの人のいる北の盛岡へ、自分の思い
  を伝えるすべはないものか)
  賢治はこう思って、立ちつくしたのであろう。
  ※この歌は後からの挿入歌であるが、そ
   の日作成と全く同じ感覚があった。

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