2009年 5月 24日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉41 小川達雄 青春15

     四、新続・恋の終末

  夜の線路をやって来て、賢治はこう歌う。
 
  しろあとの
  四っ角山につめ草の
  はなは枯れたり
  月のしろがね      一八一
 
  志和の城跡は、大きく四区画に分けられるが、賢治は日詰の町が見える南端、若殿御殿跡に行ったのであろう。そこは矩形の高台で、「四っ角山」と呼ぶにふさわしかった。

  このシッカクヤマは花巻城二の丸鐘楼附近のこと、という解説がほとんどであるが、そこは夜汽車との関わりもなく、またそこを舞台にした「めくらぶだうと虹」「マリヴロンと少女」に出てくるめくらぶどうや赤つめ草も見ることはできない。

  ※吉見正信氏はいち早く、「四っ角山」
   も城山(志和の城跡)のこと、として
   いる(『宮沢賢治の道程』)。

  「しろがね」とは白銀のことであるが、賢治はしばしば、異次元の世界を指してこういう。かの人の家に近い、月光に照らされた高台にいて、賢治はしばらく茫然としているほかはなかった。

  このあと、思いは募るばかりであったものの、結局はどうにもならず、いくら苦しくても自分で思い切るよりほかはない。こうした〔恋との別れ〕にふれた賢治の作品としては、散文詩「ガドルフの百合」があり、そこでは自分の恋の象徴、山百合が電光のなかにくず折れるシーンがあった。

  旅人のガドルフは、激しい雷雨にうたれてまっ黒な家にかけ込み、そこで「まっ白にかっと瞋(イカ)って立」った山百合を目にする。そして自分の恋を花に賭けた。

  (おれの恋は、いまあの百合の花なのだ。
  いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。)
  しかし、白い花は雷雨に乱れゆらぎ、地までかがんでしまう。恋は砕けてしまった。
  この散文詩の決定的な場面を、賢治の歌の中に求めてみると、
 
  いなびかり
  みなぎり来れば
  わが百合の
  花はうごかずましろく怒れり  一九四
 
  まさしく、これにあてはまる。「ましろく怒」る、とは稲光の中に真っ白く咲ききった、それは崩落寸前の花の姿であった。山百合の花粉は溶けて黄色に変わるが、これを「ガドルフの百合」と照合してみると、この山百合のありさまは、花が地にかがんでしまう、恋の終末と合致していた。

  大正三年、山百合開花の時期に豪雨があったのは、近くの水沢気象台の記録によれば八月二日午前二〜六時(降水量五十二・三ミリ)である。そして再び岩手病院を訪れたのは、恋の思いを諦めてから、ほぼ一年後のことであった。次にはまた、「一目見ル」のメモをあげておく。

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