2009年 5月 28日 (木)

       

■ 〈北Gのライブトーク〉89 北島貞紀 哲学の結末(上)

 そのころ、いつも頭から離れない悩み、懊悩(おうのう)とでもいうべきものが「いつか人は死ぬ」ということだった。もしかしたら明日かもしれない死が存在する以上、何をやっても無駄ではないかという、若者特有の無常観に侵されていた。それは高校2年のころから始まり、大学受験を控えた3年の夏の終わりにピークを迎えた。

  マージャンをしながら、この4人のメンバーの中で誰が先に死んでゆくんだろうなどと考えているものだから、少しも楽しめない。何をしても虚しさがつきまとい、次第に追い詰められていった。

  書の中に答えをと思って、倉田百蔵の「出家とその弟子」とかオスカー・ワイルドの「ドーリアン・グレイの肖像」などをむさぼるように読んだが、その時は一瞬納得するのだが、時間を経るにつれ、また虚しさが襲ってくる。

  無常観というよりも死ぬことに対する恐れなのだが、裏を返せば生きたい、何かをしたいという生への執着だったともいえる。

  当然のことながら、受験勉強には集中できない。そうしたもんもんとした日々を送り、それがピークに達したとき、決意した。「家出しよう!」

  そのころ僕は下宿をしていたので、実際は家出ではなく、下宿出ということになるのだが受験費用として送金してもらったお金を旅費にすることにした。

  決行の夜、盛岡駅に行き切符を買った。行き先は、少し頭をひねって大宮にした。東京だとすぐに親が捜しに来る気がしたのだ。東北本線上のそこそこの街、という設定だった。

  それは夜行列車で、深夜0時過ぎの発車だった。切符を買った残金が多少あり、なまじそんなものがあると、里心がついてすぐに戻りそうだったので、全部使い切ることにした。

  その金を懐に、大通のカクテルバー「コンパ」に向かったのだった。

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