2009年 6月 3日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉127 伊藤幸子 運転免許証

 昨夜百花爆(は)ぜたる
  故郷の空見上げ吾が日常
  へハンドルを切る
青木陽子
 
  2007年版「現代万葉集」より。おびただしい歌壇人口のなかでも、実際にハンドルを握り車を運転する人の歌はあまり多くない。歌人の高齢化と、免許取得者の多様性、いかにも古い詩型に、ETC搭載の歌などは器に納めきれないのかもしれない。

  ところで、きょう6月3日はわたしにとって忘れられない記念日。平成3年6月3日、わたしは一大決心をして自動車学校に入校したのだった。日中は仕事があり、夜間部6時ぐらいに学校のバスが迎えにくる。

  その車内のカーラジオで、九州の雲仙普賢岳の噴火を知った。火砕流で死者が出た。あれ以来この日がくると、活火山のマグマが蘇る。

  米沢の会社の同僚達は、45歳のわたしにさまざまな反応を示し、上司には「やれやれ、交通戦争に突入か。何人殺されるやら」などとからかわれ、大学入試の娘にも迷惑をかけた。

  なにしろ生来の運動神経欠陥と機械オンチ。実車のとき教官に、クラッチを踏めと言われ、「うちの車にはこんなのついてません」と言ったばかりに笑われて、「この人はオートマ奥さん」と申し送りされた。「S型、クランク」のコース。わたしはエスガタと聞けば「絵姿女房」の落語を思い出して笑った。すかさず「まじめに、集中して!」と教官の声が飛ぶ。

  タイヤ交換の実技では、学生達の夏休み期間で全国から合宿教習生が来ていて、その若者達に助けられた。従ってわたしはいまだにタイヤ交換もチェーン装着もできない。

  仮免で一回落ちて、8月2日、天童免許センターにて「運転免許試験」が行われた。電光掲示板で、自分の番号にパッと明かりがついたときは、本当に天にも上る心地だった。年齢のくらいお金がかかると聞いていたが、まる2カ月で、年齢より10歳分ぐらいおつりがきた。

  まだケータイは持っていなかったが、夫が学校まで迎えにきてくれた。でも、夫は決してわたしの助手席に乗ろうとはしなかった。岩手での暮らしは、車なしでは過ごせない。マニュアル車にも1年乗った。あんなに緊張し、苦労して取った免許証を汚さぬよう、安全運転を心がけている。

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