2009年 6月 14日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉47 小川達雄 盛岡の地質調査5

    四、花崗岩の記述
  賢治のこの報告文書の中心は、区域内の地質系統と火成岩・水成岩及びその風化物の解説である。

  それは花崗岩から閃緑岩、蛇紋岩、流紋岩等々、その成因、その成分となる鉱物、その形状と続いていて、とてもとても、通読することはむずかしい。

  じつは、この「高農時代」を書くその前から、この中心部分はどう紹介したらよいのか、思いあぐねていたのであるが、結局はそのうちの一つ、先頭の花崗岩に限って、書くことにしたいと考えた。それだけでもかなり長い部分であるが、しかし花崗岩は、盛岡では最もよく見かける岩塊であり、賢治はそれと、とくに熱心に取り組んでいた、と思われるからである。以下、原文。

  「花崗岩としては寧(ムシ)ろ細粒状に
  して灰白色を呈し、成分鉱物は石英、長
  石、黒雲母、及(オヨビ)角閃石より成
  る、石英及び長石は白色を呈し、雲母は
  平滑なる黒鱗をなし、角閃石は黒色を呈
  し光沢に富み小なる柝木(拍子木)状を
  なし長辺に平行して数多の劈開(ヘキカ
  イ、一定の方向に割れやすい性質)線を
  有するにより容易に黒雲母と区別するを
  得べし」

  井上克弘氏によれば、当時、高農には四台の鉱物用顕微鏡があった。賢治は花崗岩の薄片を作成して、その成分鉱物を一つ一つ確かめたわけである。この記述には、

  −いま見ている盛岡地方の花崗岩の成分  はこれとこれ、そしてその形状は、−
  と、石の特性を押さえた手応えが息づいているように思う。続いて

  「(その花崗岩には)所々に俗にシミ又
  はゴマと称する暗色鉱物より集成せられ
  たる大小の黒班(斑)を有す此の黒班は
  本岩の迸発(ホウハツ、地表への噴出)
  に際し岩漿(ガンショウ、地下深部で高
  熱のために溶けた岩)中に外囲の古生層
  (約六億〜二億三千万年前の地層)中よ
  り落下したる岩石の砕片が熔解し再結晶
  を為せるものにして、其の大なるものに
  至りては半ば原形を保存せるものも少な
  からず。」

  ここで注意したのは、黒斑生成の状况であるが、地球深部では何億年もの以前に、砕片の落下、熔解、再結晶があったという。賢治は中学生の時に、こう歌っていた。

  白きそらひかりを射けんいしころのごと
  くもちらばる丘のつちぐり   六四

  「つちぐり」とは、胞子を吐き出す丸いキノコであるが、賢治はその群生のさまから、遙かな地球生成の頃の、天空を刺し貫く鋭い光、天地鳴動の状態を想像していた。こうしたイメージは、花崗岩の黒斑生成を考える際にも、賢治にはしきりに思い出されたのではないかと思う。

  この種の結晶の生成・変化は、神保小虎『日本地質学』、あるいは佐藤伝蔵『大鉱物学』等に記されているが、賢治はその黒斑自体の運動として、新たに、具体的な解説を加えたのであった。


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