2009年 6月 20日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉48 小川達雄 盛岡の地質調査6

    四、続・花崗岩の記述

  賢治のこの報告文書の特徴は、一つにはその岩石が世の中にはどのように役立っているのか、その実際のようすが、その岩石ごとにみな、きちんと記されていたことである。

  稗貫農学校の教え子照井謹二郎は、賢治が田圃道で出会った親爺さんに

  「おまえさんの田コ、この近くだんすカ」
  と語りかけて、問答の後に
  「それじゃあ、今年の肥料少し考えたほ
  ーよがんす」

  と、土をいじった手を田の水でザブザブ無造作に洗い流したというが、人の役に立ちたい、という賢治のつよい思いは、盛岡地方での花崗(こう)岩の用途を具体的に記した、次の結語にもよく現れていた。

  「花崗岩は堅牢にして耐久力に富み、価
  格比較的低廉なるを以て用途頗(スコブ)
  る広く、敷石墓碑石垣等に多く用ひらる、
  只惜むらくは激甚なる地質的変動を受け
  たるが為め、亀裂多く大なる石材を得る
  に難く、色彩の陰鬱にして黒班(斑)を
  有するを以て、大なる建築材として其価
  値稍(ヤヤ)貧弱なるを免れず〜本岩に
  由来せる土壌は砂質若(モシ)くは壌質
  にして石灰に乏しからざる長石を多量に
  含めるが為め〜石灰の欠乏の害に懸り難
  きを長所とす、実際に於ては植物の成長
  好良にして、市の東端に接する中野村地
  方に於ては花崗岩土を盛(サカン)に果
  樹栽培に利用し成績良好なるを見る、而
  シカ)して白石地方に於ては開墾せられ
  て豊饒(ホウジョウ)なる畑地をなす」

  これは盛岡市での花崗岩の所在を、中野村日蔭から安庭小山に及ぶ大露出、さらには北山三ツ割、中津川、盛岡公園、裁判所内(石割桜)と記した後に続く文である。

  ここでは、花崗岩質の土壌は「石灰の欠乏の害に懸り難」く、そこでは「植物の成長好良にして」と記しているが、この〔石灰〕への着目は、関教授が前年の校友会報に発表した、盛岡附近花崗岩の分析結果によっている。

  そこでは「天神山花崗岩は稍(ヤヤ)珪酸に乏しく、甚だしく石灰に富み」としていた。賢治はその分析結果を、「花崗岩」の項の最後に掲げているが、賢治は最晩年、東北砕石工場の技師として石灰販売に尽力した。そうした賢治の道には、なにか運命的な、一本の線が引かれているような思いがしてならない。

  さてこのおしまいには、賢治があげた盛岡市の花崗岩の例から、盛岡公園の烏帽子岩の写真をあげておく。現在とは様子が違って、別の岩のようであるが。

  次は、この報文の「終結」である。

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