2009年 6月 21日 (日)

       

■ 盛岡城下の歴史街道を行く 吉田義昭さんが外曲輪など案内

     
  岩手山に奉納された夕顔瀬橋のたもとにある石灯ろう  
 
岩手山に奉納された夕顔瀬橋のたもとにある石灯ろう
 
  09年度第1回風景街道探訪会「盛岡城下の歴史街道をいく」(NPO法人秋田岩手横軸連携交流会主催)は17日、盛岡市内の史跡を舞台に開かれた。市内の隠れた歴史的名所を郷土文化研究所盛岡所長の吉田義昭さんが案内した。同交流の会員や一般市民ら約20人が参加した。

  一行は主に盛岡城建設当初の外曲輪(そとくるわ)などをバスで回った。奥州街道筋(旧六日町)を経て、現在の肴町2番地付近(栃内病院前の通り)にあった御本陣(御仮屋)跡の地に立った。御仮屋は奥州道中筋の要所に設置された藩公用の施設。諸大名や幕府役人らが宿泊した。

  吉田さんは広げた古地図と現在の通りと比較し、「大名らの馬が通るので、これほどに広い通りになった」と説明。また、通りに面した表は間口30間の建物だったが、「奥には実は300坪の広間が広がっていた。裏には非常用の通路なども設けられていた」と解説した。

  一行は夕顔瀬橋に移動。秋田へと抜ける夕顔瀬橋(材木町側)のたもとには惣門が置かれ、木戸門で厳重に警備された。同橋を越えると本格的に城下になることから、街道の両脇には警備する足軽らが詰めたという。

  注意しないと見落としがちになるが、橋のたもとには2基の石灯ろうが立っている。吉田さんは石灯ろうの裏へと回り、慶応二年の銘を指差し、「この1年前に城下は大火に見舞われた」と説明。

  慶応元年厨川三ツ家より出火。強風にあおられ延焼した。1200戸が全焼し、加賀野方面まで火の手が回ったという。それにもかかわらず、近くの材木町には火の手が回らず難を逃れたことから、「信仰の対象であった岩手山の神威に感謝し、石灯ろうを岩手山に向かい2基建てた。普通、灯ろうは橋の両側にあるものなので、不思議に思う人もあるかもしれないが、こういった理由がある」と埋もれた歴史に光を当てると、参加者は声を上げ感心していた。

  この後、盛岡城下でもっとも初期の外堀を示す本町通2丁目の赤川堰跡や上の橋擬宝珠などを訪れた。

  同会は01年から道の駅雫石あねっこで秋田市から宮古市までさまざまな地域づくりを行っている団体。この探訪会は07年から毎年、各地で行われている。同会の佐藤善昭専務理事は「今に残された素晴らしい風景を地元の人にも知ってもらいたい。今後、探訪コースとして作っていきたい」と話した。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします