2009年 6月 23日 (火)

       

■ 〈夜空に夢見る星めぐり〉254 八木淳一郎 ガリレオの贈り物(その11)

 ガリレオは今から400年前の西暦1609年、人類史上初めて望遠鏡を星空に向けました。

  翌年の1610年には木星の4大衛星の発見のほか、月面の山脈・海・クレーターなど起伏に富んだ地形、土星の輪(コブのようなもの)、金星の満ち欠けする姿、火星が完全な円ではなくわずかに欠けて見えることなども発見しました。

  さらに、太陽黒点の発見・観測とそれから導き出された太陽の自転周期の発見や天の川がたくさんの星の集まりであることなど、枚挙にいとまがないほどたくさんの発見をしました。

  こうしたガリレオの偉業は人類の宇宙観を塗り替えることになりましたが、ガリレオ自身、木星の周りを4つの衛星が回っている姿を見て、地球をはじめ金星や火星や木星などの惑星は、太陽を中心としてその周りを回っているのだとするコペルニクスの唱えた地動説を確信することになったのです。

  こうした考えは、地球すべての中心であるとする中世キリスト教の教義に反することとなりました。

  しかも、太陽黒点の第一発見者として争ったシャイナーが教会の重要な地位にあるという不運も重なって、ガリレオは宗教裁判にかけられ幽閉されます。その上、太陽観測がもとで視力を失うなど、不遇な晩年を送ることになったのです。

  ところで、16世紀後半から17世紀前半にかけてのガリレオの時代、ガリレオの業績のほかにどんな天文学的エポックがあったでしょうか。

  かの地動説は、1543年にコペルニクスが「天体の回転について」を出版し、これによって広く世に知られることになりました。

  1599年にはドイツのケプラーがデンマークのティコ・ブラーエの観測助手として肉眼による精密な火星観測を開始しています。

  この観測結果をもとに、1619年までの間に有名なケプラーの惑星に関する3つの法則が発表されます。

  望遠鏡が発明される前の1604年、ケプラーは「光学」という書物で望遠鏡の理論を著し、1611年に実際に考案したケプラー式望遠鏡というものが現代の屈折望遠鏡の基礎になっています。

  1582年、イタリアを中心にヨーロッパではグレゴリオによってグレゴリオ暦が制定され、ほぼ現代の暦そのものといえるもので、日本では福沢諭吉の提唱によって導入され、1898年(明治31年)にやっとそれまでの太陰暦からグレゴリオ暦に改暦されました。

  前後しますが、アリストテレスによる彗星(すいせい)は地球の大気の現象であるとする古くからの考えに対して、1577年、ティコ・ブラーエは彗星が月よりも遠い天体で円軌道を動くものであると説明しました。

  1630〜50年代にはいろいろな人たちによって木星や火星の模様の詳細が観測され、火星の自転も発見されています。イタリアのリッチオリは月のたくさんのクレーターに名前を付けましたが、その多くが今も使われています。
(盛岡天文同好会会員)


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