2009年 6月 24日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉130 伊藤幸子 「ヨシキリの声」

 梅雨明けのいまだをさな
  き葭切やこもり鳴きつつ
  その葭揺るる
  島田幸造

  わたしはヨシキリが大好き。鳴き声からギョウギョウシ(行行子)とも呼ばれ、夏の歳時記の代表格。あのせわしくも懸命な声を聞くと、なにか行動力が促されてやる気がでてくる。

  わたしは今、40年前に刊行の歌集を読んでいる。仙台の、故島田幸造さんの「風鶴」である。北原白秋門、宮柊二の高弟。氏とは旧来いろんな会場に同行、いつも大樹の風格の方だった。

  「契約金リュックサックにつめて来て山に一人の感情さはぐ」「松山の脂(やに)の香しるき日あたりに喉かはきつつ間縄(けんなは)引けり」昭和30年代の、紙パルプ業界の職場詠。山を買いつけ、道路をとりつけ、地主との契約も今なら信じられないなまなましい場面である。

  「鶴の声するどく透る夜の更けを枕はづしてみどり児眠る」「弟と呼ばるるを互ひにいとひつつ双生児(ふたご)の子らが今日もいさかふ」のほほえましさ。昭和30年生まれの兄弟は現在、父上のDNAを濃く継いで、文武に秀で活躍中。

  仙台では役職多忙の中、カルチヤー教室も充実し、氏を慕う人々で盛況だった。平成になってからは、「白秋と同病で」と自ら言われる眠疾に悩まれる姿が痛々しかった。

  平成14年5月、平泉の曲水の宴の見物席でお会いした。「衣冠束帯で出演なさればいいのに」と言うと「目見えないんだもの、さかずき落としちゃうよ」とまぶしそうに笑われた。

  あれが最後になった。あんなにお元気だったのに、その年の11月、80歳にてみまかられた。「進みゆく父の納骨住職の読経に印度のひびきこもれり」「亡き父に見せたきものを冠雪をいただく富士が月光に照る」と、現在静岡在住のご子息、島田真幸さんの挽歌。思えばわたしが初めて島田さんにお会いしたころの年齢にさしかかっておられるようだ。言葉やしぐさの端々に、亡き人の面影がゆらぐ。

  「エスカレーター上りゆくときひとり立つわれのかたへを黒き風過ぐ」島田さん晩年の作。心眼にとらえた黒い風、今日もそんな気配があった。重い雲の下、目をあげると用水路の向うの、身をかくすほどもない茂みの中から、ヨシキリが何か意を決したように鳴きだした。

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