2009年 6月 26日 (金)

       

■ 「ジジからの絵手紙」が本に 菅森幸一さんが書きつづる

     
  本を手にする菅森さん  
 
本を手にする菅森さん
 
  盛岡市の元教師の菅森幸一さん(72)=同市緑が丘3の23の7=が「ジジからの絵手紙 戦時中の盛岡の子どもたち」を盛岡タイムス社から発行した。太平洋戦争中の盛岡の日常を、絵手紙のスタイルでつづった。菅森さんは「空襲の下を逃げ回った恐怖は今も残っているが、豊かな心の暮らしがあった」と話し、当時の子供の目で、非常時の庶民のたくましさを描いた。孫の世代の「ハッちん シュンちゃん」に語りかける文体を選んだ。

  菅森さんは1936年函館生まれ。県内小中学校で教壇に立ち、地元の画壇で絵筆を振るってきた。6歳で盛岡に移住して戦時中の櫻城國民学校に入学した。

  「1943年4月 憧れの国民学校の生徒になった。現在のようなピカピカの1年生にはほど遠く、親せきや近所からゆずられた古着でやっと『ボロボロの1年生』ができあがる」。「その頃は物資がかなり不足していたから子どもたちの着ているものもほとんどが母親の手作りだった。かなりヘンテコリンなものも多かったが、だれも笑ったり冷やかしたりする者はいなかったよ」。

  菅森さんは「桜城小学校の学校日誌の昭和16年から18年ころまでを見ると克明に書かれていた。当時の学校でやったこと、やらされたこと」と話し、母校の校史と照合して記憶を裏付けた。「今の子供たちに当時のことを話しても、聞いてはいるが理解しているのかいないのか。だから分かりやすいように描いてみた」と、持ち前の絵心を発揮して、レトロな漫画風の挿し絵を付けた。

  戦局が傾き、身近な人が次々と出征していく世相や、食糧不足を補うための山菜採りなど、「銃後」の明暗を、子供の目で素直に振り返っている。

  クライマックスは「B29」による1945年3月の盛岡駅前空襲。菅森さんの家は現在の盛岡市大沢川原にあり、間一髪で延焼を免れた。「水道の水は出ず、消防車も来ない。知り合いのオバさんは赤ちゃんを背負って雪の中裸足で井戸から水を汲み上げ、バケツリレーの先頭に立っていた」。

  空襲はこの日だけではなかった。終戦直前に米空母の艦載機が襲い、「ジジと母さんは押入れの布団の中にもぐりこんでいたが、8月の猛暑だというのに不思議に汗もかかなかった」。

  菅森さんは戦争の悲惨さを身をもって体験しながら、「子供は外で遊ぶものと決まっていた。遊びは工夫していたし、道具は自分たちで作ったし、仲間はずれということもあったが、それは子供の世界では成長とともにどんどん変わっていった。それを今の子供たちに話したかった。今の子供たちも大変そうだから」と、教育者の視点で現代っ子に本を贈った。B5判103ページ。定価2千円。問い合わせは盛岡タイムス(電話019−653−3111)まで。

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