2009年 6月 27日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉114 岡澤敏男 「少尉」は虚像だった?

 ■「少尉」は虚像だった?

  すでに童話「烏の北斗七星」(大正10年12月21日)が海軍軍縮を討議したワシントン会議(大正10年11月12日)と、また童話「氷河鼠の毛皮」(大正12年4月15日)が「尼港事件」(大正9年5月)や海賊船「大輝丸事件」(大正11年10月上旬)と接点をもっていると既述していますが、「遠足統率」(大正14年5月7日)にも明らかに「陸軍現役将校学校配属令」(大正14年4月13日)との接点を見いだすのです。

  陸軍省が学校における軍事上の教育と訓練を強化するために現役将校を配属させる背景には、大正14年の予算編成を前に緊縮財政のうえから陸軍にも6個師団の廃止を要請されていた事情があった。けっきょくは4個師団を廃止しますが、軍縮による将校の失業救済のためと将来の総力戦体制に備えることを意図したのが「現役将校配属令」だったのです。

  賢治の作品には時事をたくみに取入れていることに気づくことがある。それも時事に触発されたという受動的なものではなく、もっと積極的に時事を取込むことにより読者に童話のモチーフを意識させようとする意図をもっていたと思います。しかも賢治はあくまでも時事の顕在を避け「隠喩」として、うっかり見過ごしてしまうくらいにたくみに取入れているのです。

  たとえば「遠足統率」の先駆稿では「現役将校配属令」の「少尉」という時事を取入れ、少尉が「あ誰だ/電線へ石を投げたのは」とどならせているのに定稿では顕在化を避けて「少尉」の存在を隠し、どなった人称を空白にしてしまったのです。それほど「少尉」の存在は時事を意味する象徴となっているからでしょう。また先駆稿を注意してみると、下書稿(一)では「少尉」が「中尉」となっているのに気づきます。
 
  風はやはらかなチモシイを吹くし
  あんまりいゝとこに来たもんだから
  約十分間分れとかなんとか
  中尉どのがやってしまったもんだから
 
  この「中尉」が下書稿(二)ではなぜか「少尉」に格下げしました。そして下書稿(三)まで「少尉」が顕在させていたが、下書稿(四)↓定稿になると「少尉」なる人物そのものをきれいに削除してしまったのです。これはどういうことか。

  花巻農学校には最初から「少尉」なる配属将校が不在だったのではないか。大正14年4月25日の「岩手日報」は、陸軍省から4月24日に発表された各学校への配属将校の名簿について報道している。

  それによれば高等専門学校へは中佐から少佐を、中学校へは少佐から大尉を、実業学校へはおおむね中尉が配属されているのです。花巻農学校への配属将校の記事はないが、実業校なので配属されたのは中尉だったと推察されます。

  第一次形態で「中尉どの」と敬称で呼んだのは実像だったからで、それが下書稿(二)では「中尉」を「少尉」に格下げし、しかも〈あんまり早く少尉めやってしまったもんだ〉とか〈やつは膝の上までゲートルをはき〉などと配属将校を「少尉め」「やつ」と蔑称しているのは、やはり虚像だったからだとよみれます。

  しかし定稿では虚像の「少尉め」の存在すら削除してしまったのは何故だったのか。表現上のレトリックからではなかったように思われます。


 ■「専門中等学校/配属将校決定」(大正14年4月25日付「岩手日報」記事より)

  東京電話二十四日発表せられたる岩手県の専門学校並び中等学校配属将校(かっこ内は岡澤)
  ◇専門学校
  盛岡高等農林学校
   歩兵第三十一連隊(盛岡)少佐 埜本正一
  ◇中等学校
  盛岡中学
   騎兵第二十三連隊(盛岡)大尉 川崎吉藏
  福岡中学
   輜重第八連隊(八師)大尉 横山伊三郎
  一ノ関中学
   歩兵第五連隊(青森)大尉 村井權次郎
  遠野中学
   歩兵第五連隊(青森)大尉 横沢栄次郎
  黒沢尻中学
   歩兵第三連隊(本郷)大尉 藤井 勇
  ◇実業学校
  盛岡市立商業学校
   歩兵第五十二連隊(不明)中尉 板倉育雄
  岩手県立盛岡農学校
   砲兵第八連隊(八師)大尉 西村勇太郎
  岩手県立工業学校
   工兵第八連隊(盛岡)大尉 高橋卓三


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