2009年 6月 28日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉51 小川達雄 盛岡の地質調査9

    七、沼森の夕暮

  賢治には、盛岡附近地質調査の時のことを記した散文、「沼森」がある。

  「沼森」は盛岡の北西約十一キロ、当時は練兵場(現在の月が丘)から諸葛川に沿って北へ、そして湯舟沢の小道を西に入った。賢治は五万分の一地図(左の図版)を頼りに、これはひとりだけの調査行である。しかし次のように手早く地質を観察して、元気に周囲を見回していた。

  「石ケ森の方は硬くて痩せて灰色の骨を
  露(アラ)はし大森は黒く松をこめぜい
  たくさうに肥ってゐるが実はどっちも石
  英安山岩(デサイト)だ。
   丘はうしろであつまって一つの平らを
  こしらへる。
   もう暮れ近く草がそよぎ防火線もさび
  しいのだ。地図をたよりもさびしいこと
  だ。
   沼森平といふものもなかなか広い草っ
  原だ。何でも早くまはって行って沼森の
  やつの脚にかゝりそれからぐるっと防火
  線沿ひ、帰って行って麓の引湯にぐった
  り今夜は寝てやるぞ。」

  痩せた石ケ森と、赤松などの丸い大森と、外見はひどく違っても、その本体はどちらも同じ、と賢治はストレートに云う。なにしろ、石英安山岩は賢治のふだんに親しんだ岩石である。

  そこの平地は、およそ一キロ四方くらいのものか、その間に盛土の囲い(防火線)がうねって続いていた。〔さびしい〕というのは、賢治にいつも訪れてくる思いであるが、これからもっと歩いて、麓の引湯(小沢俊郎氏は新網張、という「四次元」)に行く、と賢治は勇ましい。

  「何といふこれはしづかなことだらう。
   落葉松など植ゑたもんだ。まるでどこ
  かの庭まへだ。何といふ立派な山の平だ
  らう。草は柔らか向ふの小松はまばらで
  す、空はひろびろ天も近く落葉松など植
  ゑたもんだ。
   はてな、あいつが沼森か、沼森だ。坊
  主頭め、山山は集ひて青き原をなすさて
  その上の丘のさびしさ。ふん、沼森め。」

  落葉松林を配した、美しい緑の草原。太古のままの静けさの中で、賢治は空をふり仰ぐ。

  その時、かなたのあらわな山膚に気がついた。それは沼森である。賢治は「山山は−」と口ずさみつつ、「坊主頭め」と、最初からガッチリ、沼森を直視していた。

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