2009年 6月 30日 (火)

       

■ 〈清華大学集中講義報告〉2 望月善次 短歌という詩形

     
  清華大学西校門。観光スポットにもなっていて、休日ともなると記念写真を撮ろうとする人が絶えない  
 
清華大学西校門。観光スポットにもなっていて、休日ともなると記念写真を撮ろうとする人が絶えない
 
  6月17日(水)の第1回講義は「短歌入門〜〈短歌〉という詩型〜」という題名で行った。わたしの狭義の専門の一つである、「短歌とはどういう詩型か(つまり「短歌定型論」)」に関わるものである。

  以下の講義とも時間は、午後2時30分から4時30分(いずれも北京時間)の2時間。講義終了後、30分程度の質疑を行うというものであった。

  なお、通訳は、北京外国語大学大学院博士課程の呉志虹さん。同大学内にある「日本語研修センター(通称「大平学校」、1980年設立)」を継続させた機関でもある「北京日本学研究センター」の資料も生かしながらの、行き届いた事前調査に加えて、即興的な対応が抜群。「気持ちよく語らせる」ことを体得されている方と見た。

  この回の講義で、私の強調したことは、冒頭にも掲げた3点であった。

  1 易しい詩型

  日本の定型詩歌(短歌、俳句)は、易しい詩型である。何故ならば、韻律(韻=音 律=数)のうちの「律」である「音数」しか問題としないからである。例えば、中国における「漢詩」が「音」に関する複雑な約束をもっているのと好対照をなす。(実際、俊秀たちが集まったこの席にも、漢詩を作ることができると意思表示した方は皆無であった)

  なお、短歌に関しては、その「短」は、俳句に対してのものではなく「長歌」に対してのものであることを付け加えた。
 
     
  パワー・ポイント〔三戸淳一(盛岡大学)による〕を使った講義の風景。右は通訳の呉志虹さん  
 
パワー・ポイント〔三戸淳一(盛岡大学)による〕を使った講義の風景。右は通訳の呉志虹さん
 
  2 余裕を生み出すための装置である5音と7音

  短歌は「五七五七七」を基本とする詩型である。このことを支える「5音」と「7音」について説明した。基本的には、坂野信彦〔『七五調の謎をとく〜日本語リズム原論』(大修館書店、1996)〕に基づきながら、日本語は「2音4拍」を指向する言語であることを述べ、その「2音4拍」を守るためには、例えば7音の場合でいえば、4拍を全て使い切ってしまう8音より「余裕をもてる7音」の方が有効であることを説明した。

  すなわち、5音や7音は、「余裕を生み出すための装置」であることが今回強調した点であった。

  なお、5音、7音は、日本語の性質によるものであり、文語にのみによるものではないことも付け加え、したがって「口語的短歌」も成立することを説明した。その際に用いたのは、『サラダ記念日』〔俵万智(河出書房新社、1987)〕の次のような作品であった。

  「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日
 
  ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
 
3 日本語の音に乗せる

  今回の講義の強調点の一つは、日本語の節調を実際に味わってもらうこと〜つまり、音読・朗読の採用〜であった。「短歌」や「長歌」の説明に用いたのは、次に示す山上憶良の「子等を思ふ歌」〔『万葉集』〕であったが、これを出席の方々と一緒に声に出して音読してもらったのだが、予想を越えての好評であった。改めて、「言葉の力」を思ったのであった。

   山上憶良「子等を思ふ歌」〔『万葉集』〕

  瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
  いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
  安眠(やすい)し寝(な)さぬ(802)

   反歌

  銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(803)
  (盛岡大学長)

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