2009年 8月 1日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉119 岡澤敏男

 ■さびしい観測台

  長篇詩の「小岩井農場入口」探索の同志だった東京のYさんは病気され消息が途絶えてしまいました。網張街道の様子も年々変わって路辺にあったアケビのかれんな花もみられなくなった。しかし巡り沢を渡って農場内に入ると、網張街道は舗装されず野草を茂らせ18年前と少しも変わっていません。この道をたどって700bほど行くと、前方にパート四の冒頭にある有名な建物が見えてくるのです。
 
  本部の気取つた建物が
  桜やポプラのこつちに立 ち
  そのさびしい観測台のう えに
  ロビンソン風速計の小さ な椀や
  ぐらぐらゆれる風信器を
  わたくしはもう見出さな い
 
  たしかに本部の建物は西洋風でどこか気取って見えます。〈気取る〉とは「体裁を飾る」とか「趣向をこらす」意味だと辞書にあり、本部のポーチの切妻の軒にほどこされた北ドイツ調の瓔珞(ようらく)飾り板や、寄棟の頂点にデザインされた望楼を見た賢治が「気取った」建物と称したのでしょう。

  しかし、この望楼は「体裁を飾る」ためだけに設計されたのではありません。この事務所の建築は明治36年(1903年)といわれます。

  別添写真のように当時の農場内にみられる樹木は低いものばかりだったので望楼は農場全景を見渡す「物見やぐら」の役割を兼ねていたのです。現在では植林された山林が幾重にも本部をとりまき、望楼が「物見」の役割をもっていたとは誰もイメージできないでしょう。

  賢治が本部の建物以上に愛着をもったのは観測台だったらしい。この観測台は明治39年ころ宮古測候所の要請で構築したといわれる。別添写真で見るように木柱を四方より3階に組立て、その屋上を簡素に囲って「ロビンソン風力計の小さな椀、ぐらぐらゆれる風信器」などの観測機器を設置し観測記帳した気象月報を宮古測候所に送っていました。

  だが長篇詩を書いた大正11年5月には観測台が撤去されていたのです。賢治が下書稿で「要らなくなつた/要らなくなるのが当然だ」と述べているのは撤去される理由を知ってのことだったのでしょう。それは盛岡測候所が大正12年に開所されることに関連するものとみられます。賢治はその理由を知るがゆえに、愛しい観測機器たちを幻想し喪失した「悲しい観測台」を哀惜したのです。

  ところで観測台について農場では「気象台」と呼んでいたことが農場資料にみられます。その資料は「小岩井週報」(場内広報紙)掲載記事にあったのです。

  コノ度本部気象台ノ付属トシテ晴雨計ヲ備エ付ケ旗幟ヲ掲ゲ天気予報ヲナス筈ナルガ、其旗幟ハ以下ノ如シ。

  白旗  晴天
  青旗  雨天
  赤旗  風雨
   (明治41年5月発行「小岩井週報」より)

  なお観測台の撤去後は観測機器を耕耘部の構内に移し、平地観測による気象データを盛岡測候所に送付したらしい。「岩手県気象年報」(大正14年)の県内気象観測所リストに小岩井農場は「特殊気象観測所」として登録されています。

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