2009年 8月 6日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉47 望月善次 大空の青さも一寸

 大空の青さも一寸睡くなる、五時半す
  ぎて草をむしれば
 
  〔現代語訳〕大空の青さもちょっと眠くなったように思えます。(午後の)五時半も過ぎて、草をむしっておりますと。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の二十首目。(午後の)五時半も過ぎて、草をむしっていると、大空の青さもちょっと眠くなったように思えるという作品。「大空の青さvs睡(ねむ)くなる」という表現は比喩(ゆ)的には結合比喩。その内実としては、次の三つが考えられよう。一つは、午後五時半と言えば、夕方も近くであるから、(晴れ渡っていた)空の青さにも僅(わず)かながら翳(かげ)りが見え、それを「睡くなる」とするもの。二つは、(青空の青さに連続して付き合って来た)話者が、その緊張感も加わって少し眠くなったとするもの。三つは一つめと二つめとが複合的に生起させたもの。いずれにしても、「睡くなる」の理由付けとして、恐らくは事実であろう「五時半すぎて草をむしれば」をもってくることの適否が一首の評価の分かれ目となろう。なお、「睡」は「瞼(まぶた)を垂れ」、「眠」は「目を閉じ」ての眠り。
(盛岡大学学長)


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