2009年 8月 8日 (土)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉48 望月善次 甘藍の葉の助教授は

 甘藍の葉の助教授は元気なく、われ植
  える手をだらりとさがる
 
  〔現代語訳〕甘藍(キャベツ)の葉のような助教授(ともいうべき若い葉)は元気がなく、私の植える(手にも例えられる部分を)だらりとさげております。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の二十一首目。一連中の最難解歌。以下、評者にとってはどこが難解であったかを記すことにしたい。まず、何と言っても「甘藍の葉の助教授」である。話者の視野に入っているある「助教授」が、元気がないのか、「甘藍」そのものを「助教授」に例えたのか。嘉内の作風からすれば、前者なのだとする思い(その場合は、例えば、「甘藍の葉のように若い」助教授などを想定できるであろう)も捨てがたかったのが実際であったが、言葉そのものに従って、一応「甘藍(キャベツ)」の形容なのだとした。(「甘藍(キャベツ)」は、賢治も関心のあった野菜で、「キャベジ」、「玉菜」の表現もある)「われ植える手をだらりとさがる」も難解。「助教授」と「われ」の関係、「手を〜さがる」の整合性(「手を」だったら「さげる」か)等を定め難かったのである。
(盛岡大学学長)

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