2009年 8月 9日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉5 丸山暁 8月の雲

     
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  8月の暑い日の青空には、モクモクとわき上がる入道雲がよく似合う。8月の雲、8月には忘れてはならない雲がある。実物を見たわけではないが、その雲は僕の人生に大きな影を落とした。否、影ではなく思想を植え付け、ここでの暮らしともつながっている。

  戦後15年経った昭和35年、小学校5年生の僕は初めて広島市の街中に足を踏み入れた。

  広島の繁華街を歩いて驚いた。驚くというより、なにやら得体の知れない恐怖、不気味な何かを感じずにはいられなかった。道ですれ違う人々の中に、やけに皮膚がただれ引きつった人が目に付いた。首筋からほおにかけて引きつりゆがんでいたり、腕に大きなただれた傷があったり、顔の半分近くやけどの跡のようだったり。その多くは年配者であったが、若い女性や青年の中にも見いだせた。彼らは、地獄からの生還者のように思えた。

  友人の家に遊びに行くと、手がこぶしのままくっついたおばあさんが、動かしにくい手でお茶を入れてくれた。友人は「いろりに手を突っ込んでやけどしたんじゃ」と言ったが、人は手が固まるまでいろりで手を焼くだろうかといぶかしかった。クラスの色白のかわいい女の子は、真夏でも、黒い毛糸の帽子を被っていた。彼女の両親は被爆者だった。

  これらすべてが、ピカドン、原爆のせいであることを知るのに、そう長くはかからなかった。日常を暮らしていた30万人の市民の、8月の青い空に閃光が走り、キノコ雲が立ち現れ、黒い雨を降らせ、13万人の市民が殺され、今も数万人の被爆者が苦しんでいる。

  アメリカオバマ大統領が、プラハの地で核廃絶を宣言し、核兵器廃絶へ大きく踏み出したかに見える。しかし、米ロ千数百発、英仏中印イスラエルなど核保有国の核を維持しての核廃絶などありえない。僕の目の黒い内に核廃絶は不可能だろうが、核廃絶を思想として身につけるものたちが増え続けることが、核廃絶への近道だと考えている。

  僕は広島生まれではない。まして原爆を体験した世代でもない。しかし、原体験として広島の地で暮らし、核廃絶を思想として身につけた。その思想は原発廃棄にもつながっている。今、岩手で暮らして17年、広島の暮らしより長くなった。いい年になってだが、僕は自然と共に身体を駆使する暮らしも、思想として植えつけた。人間の文明とは、人間が生み出した便利さ(人間の身体を機械に委ねること)を拡大維持することではない。便利さを放棄し、自然や身体的に豊かな暮らしを取り戻すことも、人間の文明のあるべき姿だと考える。そして、8月の雲を語り継ぎ核廃絶にいたる道も、文明の姿だと確信する。

(丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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