2009年 8月 19日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉138 伊藤幸子 「盆の三日」

 余儀なくて幾年ぶりか法衣着け檀家回りぬ盆の三日を
宇都宮多恵子

  九州の台風情報のテレビを見て、福岡県田川郡の歌人のところに電話をしたのはお盆の直前だつた。浄土真宗のお寺の坊守(ぼうもり)である宇都宮さんは昭和8年生まれ、昨年歌集「それからの日日」を出版され熟読していたものである。

  北九州筑豊炭鉱といえば五木寛之の「青春の門」が思われる。田川市には「石炭記念公園」があり、園内には高さ45bの赤れんがの2本煙突が百年の歳月を示して建っているという。「あんまり煙突が高いので さぞやお月さんけむたかろ、の煙突ですか?」と問う私に「地元のもんは普段見慣れてますもんで、あまり考えたこともないですけどね」と笑われる。

  小倉の豊かな商家に生まれ、進取のミッションスクールに学ばれた後、縁あってお寺さんに嫁がれる。やがて二児を得るも、結婚5年を待たずご主人と死別。その10年後には娘さんを病魔に失い、昭和57年には最後の頼みの綱ともいうべき息子さんを二十の若さで送られた。3人とも白血病の診断であったと聞く。

  作者が短歌と出合われたのは昭和50年、42歳のときという。「一生の紆余(うよ)曲折のはじまりは結婚五年目に夫逝きてより」と詠まれるように、以来30余年、氏にとって歌は常に現世、過去世、来世を自在に往還する何よりの通行手形となったようだ。

  ご主人亡き後は「舅僧(ちちそう)の檀家まはるを助けむと法衣も着くる夫逝きしあと」「枕経の帰りの野辺に足とめて花摘みてをり袈裟かけしまま」とのお寺さんの務めが伺われる。

  戦後お寺ではよく保育園を経営されているがこの歌集にも随所に宇都宮園長先生が登場する。袈裟を付けてお経を上げ、また早朝から大勢の子供たちの世話をする明け暮れに救われる。

  「静けさは即さびしさにつながりぬ夫と子のなきそれからの日日」「小説になる半生と寡婦われら互(かた)みに言ひて酔ひてゐるなり」ほかの誰でもない自作自演のシナリオに、災厄もまた宿世(すくせ)とうべなえる歳月が流れた。氏の元では今、頼もしい後継者にも恵まれ、お盆中手分けして檀家を回られると電話の声も弾み、庭には楠(くすのき)の大樹が芳香を放っていると話された。



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