2009年 8月 19日 (水)

       

■ 「紅子の心を伝えたい」 野の花美術館新館長に石田紘子さん

     
  深沢紅子作品と石田紘子館長  
 
深沢紅子作品と石田紘子館長
 
  盛岡市紺屋町の深沢紅子野の花美術館に6月から、石田紘子新館長(64)が就任した。県内の小学校に勤務し、杜陵小学校校長を定年退職した石田館長。優しさと強さを兼ね備えた野の花のような紅子の精神は、現代に生きる子供たちにこそぜひ伝えたいと思う。男性中心の社会の中で画家として活躍し、晩年は舌がんと闘いながらも制作を続けた紅子。その生涯のさまざまな側面にスポットを当て、より幅広い層に紅子の存在を知ってほしいと願う。

  石田館長は北上市出身だが30代からは盛岡市内に居を構える。紅子作品は若いころから大好き。その作品は「いつまで見ていても飽きないし、癒してくれる。何度も引き込まれる不思議な魅力を持っている」と思う。

  10代の紅子が美術を勉強するために上京した当時は男性中心の社会。「その中でしのぎを削りながら、よく耐えて画家として活躍したと思う。女性の生き方としても参考になる」と実感。

  盛岡に疎開してからの紅子は、子供たちへの美術教育に力を入れた。その教え子たちの多くは現在も絵を描き続けている。「子供時代にどういう経験をするか。画家になるわけではなくても、生き方の中にしっかりと息づいている。人生を豊かにしてくれる」と感じる。

  76歳のとき、隣家からのもらい火でアトリエを全焼し、ほとんどの作品を焼失。だが、誰にも恨みを向けず「また描けばいい」と広い心で対処した。石田館長は「台風に遭った野の花は、その年は咲けなくても力強く、めげずに生きている。紅子の精神には野の花の強さがあったんだなと思う。それを子供たちにも教えていきたい」という。

  80代で舌がんを患いながらも絵を描き続けた。「現在病気で苦しんでいる人に、ぜひ知ってもらいたい。実際にがんと闘っていた紅子の作品が励ましになるのでは」と思う。

  中津川畔で幼い日々を過ごした紅子。その時代には今よりもたくさんの野の花が咲き乱れていた。今の夢は、美術館前の与の字橋から上の橋までの道路を「野の花通り」にすること。そのために、まずは美術館前の川原に秋の七草を育てたい。すぐには無理でも、徐々に増やしていければと思う。「それが紅子さんの気持ちにもかなうかな」と話す。

  企画展「紅子作品とふるさとのぬくもり盛岡展」は22日から12月10日まで同館で開催。それに合わせて市内の5人の講師による美術館講座を10月から12月にかけて予定している。

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