2009年 8月 23日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉7 丸山暁 ああ無情、育てるためには花も摘む

     
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  この世は無情なもの、幼くてもかわいくても元気でもむしり取って捨ててしまわなければならないこともある。

  わがやの5種類のバジル(イタリア料理に欠かせないハーブ)がすくすく育ち、白、ピンク、紫などの可憐(かれん)な花が咲き誇り、ミツバチやチョウチョが群がる時期である。しかし僕は、これらの可憐な花たちを無慈悲にもむしり取ってしまう。

  バジルの主役は葉っぱである。花を咲かせると、成長が遅くなり葉っぱの育ちが悪くなる。そのために、バジルの花はつぼみのうちに摘み取らねばならない。いわゆる、大江健三郎の小説にある『芽むしり子打ち』の世界である。必要なものを育てるためには、余分なものを犠牲にする。

  少々話それ、大江健三郎作品は僕の青春の書である。大江の小説群、『広島ノート』『持続する志』からは大きな影響を受けた。学生時代、奥手の僕に、『見る前に飛べ』を貸してくれた女子高校生がいて、彼女の意図をはかりかね、眠れぬ夜をすごしたこともあった。また、『性的人間』の表紙のアンニュイな裸婦は、僕の絵の師匠、岡本半三の手による。

  人間は何かを捨てなければ、前に進めない。これは人生そのものでもある。僕も、きっとたくさんものを捨ててきたのだろう。好きで始めた田舎暮らしだが、ゼネコンの安定した暮らし、銀座のネオンも新宿のゴールデン街も有楽町ガード下も、戦後文人や芸術家が通った「ルパン」や「どん底」、「サンスーシー」の看板バーさんとも、多くの友人たちともオサラバしてきた。

  盛岡にも、粋な飲み屋があるのだろうが、車なしでは生きていけない田舎暮らし、一杯引っかけて帰るわけにはいかない。どうも、飲み屋談義になってしまったが、これはあくまでも例え、多くのものを捨てて、ここでの暮らしがある。

  しかし、どんなに人生を重ねても、捨てられないものがある。それは、夢である。絵本『とんでけサンちゃん』、これを世に送り出すこと。自らが暮らす空間・場が美しく、豊かになること。そして、大上段に構えれば、地方、特に僕の暮らす谷間のような過疎の集落・田園に、人々の自然と共に生きる持続的暮らしを創造することである。

  ちなみに、僕が夢見た3人衆は、レオナルド・ダ・ビンチ、寺田寅彦、宮沢賢治である。建築・都市を考え絵を描き物語りを紡ぎ、科学技術者にして芸術家・作家、そんな人間に僕はなりたかった。彼らに到達することは、僕の人生を何度繰り返しても不可能だろう。しかし、人生捨てるものがあっても、夢はいつでも目の前に、僕の中にある。

   (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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