2009年 8月 29日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉123 岡澤敏男 カラマツの芽をネクタイピンに

 ■カラマツの芽をネクタイピンに

  小岩井農場にはカラマツ(落葉松、唐松)がずいぶん多く目につく。春は新葉、秋は黄葉が農場の景観をやわらかく包み訪れる旅人の心の疲れをこよなく癒やしてくれます。

  しかし農場のカラマツは風光のため存在したのではありません。井上勝が農場を創業した明治24年(1891年)の初年度に「唐松の種子五升」を播種したことを『開墾方按』に記録している。さらに翌年(明治25年)には「唐松の種子四斗四升五合播種」と「四万本の苗」を植えているのです。

  もっとも唐松のほか杉・松・楢・ドロ・栗・桜・胡桃などの種子や苗をも植えているが、当初には唐松の植栽がダントツに多いのです。この間の事情について、井上勝は『開墾方按』に次のように述べています。

  「農場ハ、東西三里南北二里ノ茫々タル原野ノ中ニアリ、四面皆高山ナルヲ以テ風害ヲ受ル甚シ、依ッテ風害ヲ除キ開墾ノ目的ヲ達セント欲シ、明治二十四年ヨリ同二十七年ニ至ル四年間ニ諸木ヲ播種スル事実ニ五十町歩、而シテ其結果一々列記スル能ハザレドモ概シテ…好結果ニシテ、大ナルモノハ五、六尺小ナルモノハ二、三尺、其ノ他実蒔ノ如キニ至リテハ五、六寸ヨリ一尺内外ニ成長セリ…」

  カラマツは火山灰地にもよく育ち成長の早い特性をもつ落葉喬木なので、防風林として好まれ創業時より植栽された樹木だったのです。そして明治31年に小岩井農場の経営一切を井上勝から譲渡された岩崎久彌は精力的に植林に取り組み、32年から明治42年に至る10年間で1千町歩の植林を達成しており、そのなかでカラマツの占める構成比は約12%であることが下田一著『小岩井農場の森林(もり)造り100年』にみられる。

  また同書にはカラマツの上木(うわぎ)とスギ、ヒノキの下木(したぎ)による二段林施業について詳しく説明されている。賢治が大正11年1月に地吹雪のなかから視覚した(四列の茶いろの落葉松)とは下木のスギを保護する二段林の上木だったのかも知れない。

  賢治はすらっとして西洋風のカラマツが好きだったらしい。広い原っぱの沼森平に自生するカラマツをみて、どうしてここに「落葉松(ラリックス)など植えたもんだ。まるでどこかの庭まへだ」と初期短編「沼森」で感嘆し、落葉松に学名のラリックス(Larix)のルビをつけているのです。

  「小岩井農場」の詩のなかでも「四列の落葉松」のほかに「からまつの芽はネクタイピンにほしいくらひだ」(パート三)「から松はとびいろのすてきな脚です」(パート四)「から松の芽の緑玉髄」(パート七)「これらのからまつの小さな芽をあつめ/わたくしの童話をかざりたい」(パート七)「ラリックス ラリックス いよいよ青く」(パート九)という詩章が5か所にも挿入されており、カラマツの名称表記が「落葉松(らくえふしょう)」「からまつ」「から松」「ラリックス」と4態に及んでいることなどもいささかナゾめいている。とりわけカラマツの芽に賢治は輪廻転生を交感するのでしょう。

  胸を飾るネクタイピンにカラマツの芽をほしがるのは、心の友と決別した強迫観念のしこりから再生を願う心情とつながっているのです。

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