2009年 8月 29日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉68 小川達雄 秩父路を行く・上13

     七、虎岩

  国神駅(いまの上長瀞駅)に着くと、駅前の道は荒川に向かって続き、川岸の林から左に曲がれば、川原への入口が右手に見えた。いま左側には県立自然史博物館があり、その向かいには旅館・浩養亭が人を迎えている(保阪嘉内たちはこの翌年、ここに泊まった。賢治の年度には、まだそこは出来ていない)。

  川原の手前にはカエデやクヌギ、ニセアカシヤ等が繁り、その五十bほど先の石原には、平たく盛り上がった大きな岩(虎岩)が横たわっていた。岩の中央部分から、とくに川岸に面した側面にかけて、めずらしい褐色の縞模様が大きくうねっている。

  賢治はここで、こううたった。
 
  つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川 ぎしの片岩のいろ。
 
  賢治は、茶や青の縞模様の博多帯を、すぐに思い浮かべた。そこのところ、〔〜のようだ〕とか〔思う〕〔見る〕等の説明は一切はぶいているけれども、そこが賢治の大きな特質である。

  賢治の目の前には、たしかに「粋なもやうの博多帯」が、スッと出現したのであろう。賢治のこうした説明抜きの表現は、賢治のむずかしさの一つでもあるが、その縞模様に注目したのは、やはり賢治独特の目、であったにちがいない。

  この日は一日じゅう、秩父は曇り空で、その時刻には層積雲や乱雲が空を覆っていた。その岩の縞模様は、いつもより見えにくかったはずである。当時はまだ「虎岩」の名もなく、案内板などが立っていたわけではない。

  岩そのものもいくつかの片岩の複合体で、岩の基部と荒川に面した側面は、あきらかに緑泥片岩である。この大岩は縞模様の部分(いまの名称はスティルプノメレンという鉱物)に特徴があり、賢治はめざとくその縞模様をキャッチして、その全体を見渡せる位置に立ったのであろう。

  左にはその縞模様の写真を掲げたが、これは地質学のプロによるもので、その大岩(全体で幅約十五b)の流れるような縞のうねりが、はっきりとわかる。

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