2009年 8月 30日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉8 丸山暁 ストーブは物々交換で手に入れた

     
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  夏の大仕事、薪(まき)割りもあとわずか。今年は長雨のせいで半月ばかり遅れたが、あと2、3日、少々しんどいことでも終わりが近づくとなんだか寂しくなってくる。小屋の中央左よりに乗っかっているのは薪割り相棒、ハスクバーナーのチェーンソーとまさかりである。

  この地に来て2年間、「チェーンソーは排気ガスを出し、オイルも飛び散り環境に悪いと、2dトラック一杯の丸太(中には4、50aの硬い楢や栗の木もある)をのこぎりで切っていた。僕は、2b物のでかい丸太の1カ所を切れば疲れてやめてしまったが、かみさんは女の細腕で、まるまる1本一気に切り終えたのには恐れ入った。

  そんなある日、見るに見かねたのか隣のオヤジさんがチェーンソー片手にやってきて、「それじゃ、わがねんだ」とシャンシャンと切ってくれた。

  それを見て、次の年からはチェーンソーのお世話になることにした。なんせ、のこぎりとチェーンソーでは、まさに100倍の労力・時間差がある。文明の利器を否定するのが田舎暮らしではないと思い知らされる。

  北国の山郷の暮らしの醍醐味(だいごみ)はなんと言っても薪ストーブである。この地に越してきた17年前の夏、盛岡のストーブ屋さんに飛び込んで、予算的に合う15万円ぐらいのものを見つけたのだが、ストーブ屋のご主人曰く「効率を考えたら、その倍ぐらいの物がいい」といい、「予算的にはちょっと」などとやりとりが始まった。

  「まあお茶でも」と、脱東京の山暮らし、僕が建築屋だと話すと「それなら、暖炉のデザイン画やサウナの施工図を書いてくれたらストーブと交換しよう」と話がまとまり、理想的な真っ黒いダッジウエストのストーブを手に入れた。ちなみに相棒のハスクバーナーも同じ手で。

  今と言う時代、すべての行為、物がお金に換算され取引される時代である。特に、昨年のリーマンショック以来、雇用を失い収入を断たれた方々の悲惨さは、日本中を震撼(しんかん)させ、その不安は今も去ってはいない。物々交換・原始共産制社会には戻れないが、その人の存在、労働、能力などを、すべて貨幣に置き換えなくても、暮らしの支えになる、そんな社会の仕組みが構築できないだろうか。

  若いころは古くさいと思っていたが、「ちょっとおしょうゆ貸して」的な下町人情、田舎の結いの関係性に未来を切り開く仕組みが隠されているのかもしれない。子供やお年よりは存在するだけで価値がありお金がなくても安心して暮らせる、そんな社会をつくってくれる政治家を選ぼうではないか。
  きょうは衆院選投票日、一人一人のたった1票でも集めれば社会は動く。まずは投票に行きましょう。

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