2009年 8月 30日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉229 八重嶋勲 叔父さんたちへ折節手紙を発送せよ

 ■302半紙 明治42年3月16日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
               日松館内
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧高等学校ヨリ豫而長一ヘ貸付ノ教科書返納ノ義(儀)厳重ナル督促セラレ候、若シ此侭ニ差置トキハ或ハ日詰警察ヘ回シ、説諭ナトセルゝヤモ難計、至急返納可致候、
今回日光善光寺参拝者大巻ヨリ十四人計リ出発ノ筈ニ候得共親戚ノモノ加ハリ不申、敢テ先導案内等ノ必要ナカルベシ、夫共郷里ノ様子等ヲ聞ク為メ面會致度コトナラ廿二日未明方上野ニ着スル筈ニ候、其ノ人別ハ
隠居太田代喜ヱ門夫婦、中島吉田由松夫婦、柳下高橋留吉夫婦、大峯カマト佐藤権八夫婦、古館佐藤喜八ノ妻、平舘野村長蔵ノ妻、マトバ日下勘太妻、小玉根カマト葛清治ノ妻、ヨシヤツ佐藤庄次郎、定番佐藤宇羅人ノ妻、
右ノ人夫東京飯田ニ宿スル筈ニ候、出立ハ十八日、十九日ノ夜日光泊リ、廿日ノ夜善光寺泊リ、廿一日夜汽車ニテ夜明方ニ(廿二日朝)上野ニ着スルナラン、廿二日、廿三日ハ東京中任意見物、廿四日ノ朝成田不動ニ向テ出発ノ筈ナリ、
送金未今尚ホ困リ居リ候、
来ル四月ノ村長選擧ニハ如何ナルカ一向様子不相見得候、自分モ一切今回ハ運動不致心組ニ候、
一昨十三日夜雪壱尺以上降リ車馬通行止リト相成、今頃珍シク被思候、
佐比内村叔父達ヘ折節手紙発送スベシ、或ハ四月頃ヨリ学資ヲ佐比内村叔父達ニ頼リ(ル)ヨリ外無之候、
星山ノ工藤周助ノ長男(八重島茂ノ甥)、工藤盛造当時岩手師範学校入学中肺炎ニ罹リ目下自家ニテ療養重症ニ毀(陥)リ、生命旦夕ニ迫レリト、
乍毎度此病気程危険ノモノ無之、一層学生間ニ多キハ如何ナルモノカ、実ニ心細キ様被思候、
貧乏ニテ(モ)健康ナルハ第一ノ幸福ナリ、自愛セラレヨ、早々
  三月十六日      野村長四郎
    長一殿
 
  【解説】「前略、第一高等学校から前に長一へ貸し出した教科書が返納されていないことについて厳重な督促があった。もしこのままにしておけば、あるいは日詰警察署へ回し、説諭などをされるかもしれない。至急返納するようにせよ。

  今回日光、善光寺参拝者は、大巻から14人ばかり出発するはずであるが、親戚の者が参加していない。あえて先導、案内などの必要はないだろう。それとも郷里の様子などを聞くため面会したいのなら22日未明に上野駅に着くはずである。その人々は

  屋号隠居の太田代喜ヱ門夫婦、屋号中島の吉田由松夫婦、屋号柳下高橋留吉夫婦、屋号大峯竈の佐藤権八夫婦、古館村の佐藤喜八の妻、平舘の野村長蔵の妻、屋号的場の日下勘太の妻、屋号小玉根竈の葛清治の妻、屋号芳谷地の佐藤庄次郎、屋号定番の佐藤宇羅人の妻、

  右の人々は東京飯田に宿泊するはずである。出立は十八日、十九日の夜、日光泊り、二十日の夜、善光寺泊り、二十一日、夜行列車で夜明方に(二十二日朝)上野駅に着くであろう。二十二日、二十三日は東京中を任意に見物、二十四日の朝、成田不動に向かって出発のはずである。

  送金について金策がまだで、なお困っている。

  来る四月の村長選挙にはどうなるのか、一向に様子が見えない。自分も一切今回は運動しないつもりである。

  一昨十三日夜、雪一尺以上降り、車馬の通行が止り、今頃珍しく思われる。

  佐比内村の叔父たちへ折節手紙を発送せよ。あるいは四月頃から学資を佐比内村の叔父たちに頼るしか外ない。

  星山の工藤周助の長男(八重嶋茂ノ甥)、工藤盛造当時岩手師範学校入学中肺炎に罹り、目下家で療養重症に陥り、生命旦夕に迫っていると。

  毎度ながらこの病気程危険なものがない。一層学生間に多いのはどういうことであろうか。実に心細いように思われる。

  貧乏でも健康であることは第一の幸福である。自愛せられよ。早々」という内容。

  学費の金策の途が尽きて、4月ごろからは、佐比内村の長一の母の実家、またその家出身の叔父たちを頼るしかないという。これまでもさんざん頼ってきているのだが、悲壮な決意である。

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