2009年 10月 4日 (日)

       

■ 〈早池峰の12か月〉13 丸山暁 実りの大地は国の宝

     
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  大地と呼ぶには小さな谷間にも、実りの秋がやってきた。日本の四季はそれぞれに魅力的だが、大地が最も色彩的に輝くのは実りの秋だろう。言葉どおりの抜けるような青空、まだ濃い緑に覆われてはいるが少し色づき始めた山並み、その彩りを背景にして広がる黄金色の大地。どんなに時代が移ろうが、この風景こそ日本人の心の古里、風土的風景ではないだろうか。「風土」の解釈は、和辻哲郎の名著『風土』を読んでいただきたい。

  洋の東西を問わず、実りの大地こそ国や民族の宝であり風土そのものである。時代背景は異なるが、ミレーの「晩鐘」や「種まく人」はヨーロッパの穀倉地帯、絵本『ピーターラビット』の風景はイングランドの風土的風景である。小高い白い丘に連なるオリーブ畑は地中海のそれである。そこには人々の固有の暮らしが見えてくる。ミレーの絵の中で権兵衛が種を蒔いたり、金太郎がピーターラビットと相撲をとる姿はこっけいである。

  しかし、田園・農村風景を形成する実りの大地を支える農業、人々の暮らしは、世界的、歴史的にも決して豊かで平穏なものではなかった。古くは、中世、封建時代の奴隷労働や年貢に苦しむ小作農業、20世紀には農民の多くが兵隊に狩り出され、戦後高度経済成長期には労働力の供給基地となり、都市膨張、市場経済の中で農村は疲弊していった。今も、世界の農業は、一部アグリ(農業)ビジネスの資本家を除いて、世界的に伝統的・風土的農業は苦境に立たされている。アフリカ、南米の植民地的農業はいまだ悲惨である。

  近代都市は世界中どこも似たり寄ったり、新宿とサンフランシスコの高層ビル群を入れ替えても違和感はない。盛岡とミラノのショッピングセンター、仙台とニューデリーの商業地区も大差ない。

  しかし、日本の大地から田んぼが消えてしまったら、日本という国の独自性(アイデンティティー)、風土的風景は消滅してしまうのではないだろうか。

  田んぼは、大規模化、機械化によって、印象派的たおやかな棚田というより幾何学的風景になり、家族総出の田植え稲刈り、コビル風景も少なくなった。

  最近、渋谷系ガングロギャルたちの早乙女姿が話題になったが、これも日本農業再生の特異点かもしれない。銀座のど真ん中に数坪の田んぼを囲んで一杯引っかけるスペースができ、癒されるとサラリーマンに大人気である。シティーボーイ・ガールを気取っても、日本人の遺伝子は田吾作、おヨネと同じである。

  ちなみに僕の家は、写真中央辺りの山裾のちょっと小高い南斜面にある。僕がこの谷間から消えるまで、この谷間に実りの秋は続いているだろうか。

(丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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