2009年 10月 18日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉83 小川達雄 秩父路を行く・下14

    十一、紅簾石片岩

  明けて九月七日は、秩父見学旅行の最終日である。この日も晴れて朝六時の気温は二十二度、淡い雲が浮かんだ空の下を秩父駅に向かう。駅までは徒歩十分ほど、汽車は秩父発午前六時六分の熊谷行であった。

  この日最初の見学地は、秩父駅から四つめ、親鼻駅近くの親鼻橋と推定される。その橋脚の下には、小藤文次郎博士が明治二十一年、初めて世界に報告した紅簾石片岩(コウレンセキヘンガン)があった。

  ※現在、それは橋の上流にあるが、当時
  は旧橋の真下に位置していた。

  左にそのスケッチ(「地学雑誌」明治二六年)を掲げておいたが、高さはざっと約八b、幅約五十bの巨岩である。その岩には、全身で空に向かう、なにか内に籠もった気迫が感じられた。目というものを持たない、ひたむきな生き物とでもいったらよいのか。その頂部には二bほどの穴(ポットホール)がいくつか穿たれて、荒川は昔、その上を流れていたことを示していた。

  小さな破片を見つけて洗ってみると、赤紫色にキラキラ光る。光るのは白雲母で、赤は紅簾石が含まれているため、というが、そこにはたしかに、外国の研究者たちにも珍重された美しさがあった。

  その次は、荒川の左岸を一`余りさかのぼって、いまの栗谷瀬橋下流(国神村)で、蛇紋岩や蛇灰岩(蛇紋岩に白い方解石が含まれたもの)を採集したと思われる。現在残された賢治の標本には、「国神附近 蛇灰岩」があった。

  ※ここのところ、秩父にやって来て最初
  に泊まった梅乃屋は、ほんの一`ほどの
  近間であり、その日にこの蛇灰岩を採集
  したとも考えられる。しかしその時は夕
  暮れであり、賢治たちは合唱して歩いて
  いたので、蛇灰岩の採集は最終日のこと、
  としておきたい。

  その後は川原を行き、四日前に見た虎石の傍で、昼休みをしたのではなかろうか。いまは川下りの観光船が折々、水面を滑って行くが、そのあたりは、青い清流に対岸の絶壁を仰ぐ、ほんとうに気持ちのよい砂地であった。秩父最後の昼のひととき、賢治たちはしばらくそこで休んだのであろう。

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