2009年 10月 18日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉236 八重嶋勲 無利才覚の者に送金した結果なり

 ■309半紙 明治42年7月4日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
               日松館内
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧学費金送付方ニ付折角督促ニ候、且ツ困難ニ居ルナラント日々心痛罷在候得共如何トモ為シ不能、空シク日送ルノミ、目下村税未納金四十二円払込ミ不致為メ彦部村四十一年度村税決算始テ居リ、他ノ人ナラ疾ニ財産公産(表)ニ付サルヘキモノナリ、農工銀行ヨリ五拾七円払込ノ為メ執達吏役場ヨリ通知ヲ受ケ引續残モ三十七円不足アリ、生命保険掛金ノ如キハ捨テモノトセリ、如斯ハ無利才覚ニテ数年間学費送金ノ結果ナリ、一方ヲ見ルニ大学一学年ニ一、二ヵ年ニシテ未タ一回試験モ不受、実ニ如斯不幸ノ我々ハ又ハ不可有ト思ヘ(ヒ)居リ候、一ヶ年農事ノ収益ハ借用金ノ利子ニモ不足、之レノ豫知シテ五、六年前ヨリ専門学校ヲ進ムニモ不能、用遂ニ爰ニ至リ如何トモ為シ不能、他ノ困窮学生ノ如ク苦学モ不出来、最初ノ言ヘ(ヒシ)海軍主計夜学又ハ大家教師之レモ不出来、自分金束(策)スル事モ不出来、普通人ナラ稍ヤ三十才ノ人ハ父母業家政ヲ補ケ父母ノ安樂モ図ルヘキト、如斯ハ到底見込ナキコトゝ被思篤ト被考度候、保積ヨリ直督促ニ接シ本日申訳ノ手紙差出、右用事、早々
赤澤村ヘ村長ニ月拾五円ニテ明後日迄ニ確定スル筈ニ相成居候、
来ル六日、七日頃迄ニ金五十円保積ニ送金セント今金束(策)中ナリ
   七月四日        野 村
     野村長一殿
 
  【解説】「前略、学費金の送金についての督促であり、かつ困難しているだろうと日々心痛しているけれども、金策なんともならず、むなしく日々を送るのみである。目下村税42円を未納にしており、彦部村明治41年度村税決算を始めており、他の人であれば、とうに財産公表に付されるところである。農工銀行へも57円未払込みのため執達吏の通知を役場から受け、引き続く残りも37円の不足がある。生命保険の掛金の如きは捨ててしまった。このようなことは無利才覚の者に数年間学費を送金した結果である。一方を見るに大学1学年に1、2か年でいまだ1回も試験を受けず、実にこのような不幸はわれわれにあるべきことではないと思っている。1か年の農業収入は、借用金の利子にも不足である。これは前々からあらかじめ言ってきたが、5、6年前から専門学校に進むでもなく、ついにここに至ってしまいなんともしようがない。長一は、他の困窮学生のようにアルバイトをするなどの苦学も出来ない。最初に言った海軍主計学校の夜学に入るとか、大家の教師をやることも出来ない。そして自分で金策することもできない。普通の人であるならば30歳の者は父母の業や家政を助け、父母の安楽を図るべきである。このようでは到底見込みがないと思われる。とくと考えてみよ。保積から直接督促されたが本日申し訳の手紙を差出した。右用事まで、早々

  (追伸)赤沢村の村長に月15円でという話は、明後日までに確定するはずになっている。

  来る6日、7日頃までに金50円を保積に送金しようと、今金策中である」という内容。

  村長を勤めながら、村税を納めることができず、農工銀行からは執達吏の督促が入っているのである。生命保険も掛けることができず途中で捨ててしまったという。それにもかかわらず、大学の試験も受けず1学年を棒に振っているのではないか。と堪忍袋の緒が切れたという感じである。

  穂積とは「日松館」主人か。下宿料の未払いであろう。

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