2009年 10月 19日 (月)

       

■ 大島高任顕彰へ機運 盛岡市の目時さん「生誕地に碑を」と活動

     
  12月1日の鉄の記念日を目標に大島高任の生誕地を知らせる碑を立てたいと準備を進める目時政人さん  
 
12月1日の鉄の記念日を目標に大島高任の生誕地を知らせる碑を立てたいと準備を進める目時政人さん
 
  近代製鉄の父と言われる大島高任(1826〜1901)が盛岡出身であることを多くの人に知ってもらいたいと、盛岡市北山1丁目の会社役員目時政人さん(55)が仲間に呼び掛け、生誕地に碑を立てる準備を進めている。高任の業績をしのび、観光客らにもアピールするきっかけになればと願う。

  目時さんは、南部藩士で幕末の勤王の志士、目時隆之進(1823〜1869)の縁者。自宅に残る古文書や大島家の家系図から高任の先祖に当たる大島家2代目・大島總左衛門(1707年6月に南部藩の藩士となり1712年に没)が、目時家から養子に入った人物であることを知り、高任にも興味を持つようになった。

  高任の業績は盛岡市の先人記念館や釜石市の鉄の歴史館などで紹介されているが、原敬や新渡戸稲造ら他の先人に比べて盛岡での知名度はいまひとつ。先祖供養の思いも重なり、生誕地に高任を顕彰するものを残そうと思い立った。

     
  在りし日の大島高任(盛岡市先人記念館提供)  
 
在りし日の大島高任
(盛岡市先人記念館提供)
 
  高任の父親(大島周意)の戸籍謄本の写しによると、高任の生誕地は盛岡仁王小路三十三番地と推察される。この住所を明治期や昭和期に発行された古地図に照らして調査。付近の土地の登記簿などから、桜城小わきの大通3丁目10の26にある共有地付近が生誕地であることを突き止めた。共有地の地権者から了解も得ており、12月1日の鉄の記念日を目標に碑を立てたいと意気込む。

先人記念館などによると、高任は盛岡藩侍医の家に生まれ、江戸で蘭学、長崎で西洋兵学や砲術、採鉱、精錬を学んだ。水戸藩に招かれ那珂湊(なかみなと・現在の茨城県ひたちなか市)に反射炉を建設、1856年には大砲の鋳造に成功した。

     
  大島高任の生家があった仁王小路(現在の大通3丁目)付近。仁王小路は藩政時代、百石前後のいわゆる中士の屋敷が多かったという  
 
大島高任の生家があった仁王小路(現在の大通3丁目)付近。仁王小路は藩政時代、百石前後のいわゆる中士の屋敷が多かったという
 
  材料となる銑鉄(せんてつ)の質に満足できなかったため、盛岡藩領に豊富に産出していた磁鉄鉱に目を付け、磁鉄鉱からの銑鉄生産に着手。甲子村大橋(現在の釜石市甲子町)に洋式高炉を建設し安政4年12月1日(太陽暦の1858年1月15日)に磁鉄鉱の出銑にこぎつけた。これを記念して12月1日が鉄の記念日に定められている。

  その後、高任は盛岡藩に帰藩。鉱山吟味役、国産方頭取などを務め、1863年には西洋医学者の八角高遠(1816〜1886)らと盛岡に本格的な洋学校「日新堂」を設立した。1901年に東京で死去し、東京谷中霊園に葬られている。大島家の盛岡の菩提寺は大慈寺町の永泉寺で、高任の先祖の墓石二十数体が残る。

  高任の玄孫に当たり、釜石市の釜石応援ふるさと大使も務める大島輝洋さん(61)=東京都武蔵野区吉祥寺=は「高任ゆかりのメモリアルとなる場所が特定され喜んでいる。釜石市にある橋野高炉跡も世界遺産候補の構成資産入りを目指した動きがあり、県全体の財産として盛り上がってくれるとうれしい」と期待する。
  目時さんは「市内に、ゆかりの場所が保存されている先人もいるが、大島高任は足跡を確認できる場所がほとんどない。近代製鉄の父と言われる業績を改めて知ってもらいたい。観光資源の一つにもなるのではないか」と話していた。


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