2009年 10月 21日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉147 伊藤幸子 病なき日

 奥会津八十山なべて紅葉するいのち哀しき季に来あへり
  菅野カネ

  まだ紅葉の盛り、ことし一番に喪中の葉書を頂いた。年賀状以来のごぶさただったが、春を待たずにご主人を送られた由、心が傷む。

  「大波は船首を向けて乗り切ると元操舵手の夫のひと言」の一首より「船首を向けて」という歌集を出版されたのは平成10年春だった。昭和10年会津若松生まれの作者は27年より40年間同市内の病院に勤務。昭和45年より全国誌の短歌会にて活躍。

  「手術終へいのち新たなわが夫の帰り来る家拭き清めたり」「予後の夫と短き言葉かけ合ひて障子張るなり秋風のなか」また「残業減らして母よ病む父のそばにをれとぞ子の便りなり」といった日常のくらしも偲ばれていて、看護師さんの仕事ぶりに感じ入ったものだ。

  でも忙しい人ほど時間の使い方が上手なようで、絵画、書道は玄人はだし、たまに歌会でお会いすると手編みのセーターやマイファッションのみごとさで会員たちを羨望させた。

  「われながら働き好きの性をかし定年延長線上にゐて」「まろやかに志功が描く女人像、女人に病(やまひ)無きがごとくに」明るくいつも笑みを絶やさぬ彼女に、「幸ちゃんも、あと5`ぐらい太った方いいわね」なんて言われた日がなつかしい。7サイズの服が合っていたころがあったといっても今では誰も信じてくれないけれど、昔も今も病無き日でありたいと願う。

  「花嫁のピアノに合はせ歌ひゐるタキシードの子も満更でなし」さまざまに華燭(かしょく)の演出。参列のお客さま方に、新郎新婦の何よりのおもてなし。人生の節目節目にアルバムのページがふえてゆく。「人見知りさるる祖母われ術(すべ)なくて孫の学資の保険かけ初む」こんな日もあった。わがやでもたまに来る孫はことに一歳未満のころは泣かれてばかりいた。でも、才も財もないバアバはこの作者のように学資保険をかけてあげようなどとは思いも及ばず、泣かせっぱなしにしてしまったことである。

  あんなに元気だった方が今、「生き死にに真向かひ励みし若き日の或る日わが血に入りしウィルスよ」と肝を病まれ、かつて勤めていた病院に通院されているという。おだやかな小春日和が続いてほしいことだ。

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