2009年 10月 24日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉84 小川達雄 秩父路を行く・下15

     十二、本野上の別れ

  賢治たちが昼休みをした虎岩附近から、下流には五百bほど、黒光りする石墨片岩の岩畳が夢のように続く。

  片岩というのは、うすく剥がれやすい性質(片理)を持った変成岩の一種であるが、これは約一億年前の白堊紀に、地下数十`の奥深く、古い岩石の地層が高熱と高気圧によって新しく結晶した岩石である。

  左にその写真を掲げたが、この岩畳は次の宝登山駅(いまの長瀞駅)まで続いていた。これは海底のその奥深くに起きた地殻変動のようすをまざまざと見ることができる、まことに貴重な一帯である。

  ※この長瀞の地域(紅簾片岩のある親鼻
  橋から賢治たちが最後に乗車した高砂橋
  まで)は、大正十三年、国から名勝天然
  記念物の指定を受けた。国指定の報告書
  には「結晶片岩より成れる峡谷にして両
  岸絶壁を成し景勝の地たると共に結晶片
  岩能く露出し且つ本邦に特有の紅簾片岩
  を見るべく」等と記されていた。

  賢治がとくに秩父で学んだことは、こうした片岩類に見られる大地生成のドラマを、なによりも、じかに感じ取ったことであったろう。そして同時に、小鹿野町から群馬県にかけての広大な〔山中地溝帯〕を目にして、地質と地勢に関する、確かな見通しを得たこと。要約すればこの二つであろうが、これは盛岡附近地質調査報告の作成に際して、大きな力になっていく。

  さて賢治は、本野上に近い曲淵附近で、いまに残されている「本野上 石墨片岩」を採集した。石英、長石、石墨などの鉱物から成るその岩塊を、これが最後と、大切にリュックにしまったことか。

  高砂橋の地点から駅舎は間もなく見えて来たが、賢治はこの時のことを、『校友会報』の歌に、こううたっていた。
 
  盆地にも、今日は別れの、本野上、驛に
  ひかれるたうきびの穂よ。
 
  見慣れた「たうきびの穂」が揺れている駅。汽車は午後三時四十三分の発車である。彼方にはふるさとと同じ山々が連なって、旅行隊に別れを告げていた。(この項、了)


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