2009年 10月 25日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉237 八重嶋勲 至急帰郷するべし、理由を知らせよ

 ■310はがき 明治42年7月9日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
               日松館内
本日正午盛岡局ニテ金五十円電替差立セリ日松舘支払可致候、何日帰郷スルヤ即報スベシ、所持品衣類ノ如キハ可相成持参スベシ
   七月九日
     野村長四郎
 
  【解説】「本日、正午盛岡局から50円を電信為替で差し立てた。日松舘の下宿料を支払いせよ。何日帰郷するか、すぐ知らせよ。所持品、衣類はなるべく持参すること。」という内容。

  前の手紙で「保積ヨリ直督促ニ接シ本日申訳ノ手紙差出」というところがあり、下宿料の滞納である。父長四郎が、申し訳をし50円という大金を直接送ったのである。毎月の仕送りは一体何に遣っているのであろうか。
 
  ■311巻紙 明治42年7月22日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
               日松館内
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧目下諸学校之生徒、学生高等大学共一般休業既ニ十日以前ニ帰郷シアルニモ不拘今ニ帰郷セサルハ如何ノ次第ナルカ、頻リニ家事窮状ヲ告ケ一日モ早ク帰郷促シ置キタル却テ何等ノ申越モナク家事ヲ毫モ不顧体甚タ不審、定メテ何カ失罷(態)ノ含在スル理由アルベシト推察致候、如斯事ナレバ学費ハ勿論送金スルコト不出来、至急帰郷相成ベシ、不然ハ其理由申越度候、当方ヨリモ宿元其他ヘ預メノ為メ乍遺憾照會可相發候、早々
    七月廿二日       野 村
         野村長一殿
 
  【解説】「前略、目下諸学校の生徒、学生、高等学校、大学とも一般に夏期休業で、すでに10日も前に帰郷しているにもかかわらず、長一がまだ帰郷しないのはどういうことであるか。しきりに家政の窮状を告げ、1日も早く帰郷を促しておいたのに、かえって何らの申し越しもなく、家事をいささかも顧みないのは甚だ不審である。きっと何か失態の理由があるのであろうと推察している。このようなことであれば、学費はもちろん送金することはできない。至急帰郷するべし。そうでなければその理由を知らせよ。当方から宿元、その他へ遺憾であるが照会しよう。早々」という内容。

  いつものことながら、長一は夏期休業になっても帰郷しないのである。常に家族の膏血(こうけつ)を絞り、かつあらゆる手段を講じて、金の工面を行い送金を行っている父のことを、長一は少しも考えないのであろうか。

  長一は、橋本ハナと交際中であり、片時も離れられない気持は分かるが、家族のことは全く考えていないのは一体どういう気持なのか分からない。

  父長四郎からの手紙は、この手紙が最後である。

  翌明治43年8月3日、父長四郎は、乙部村長在職中に急逝、享年54歳。長一、28歳、東京帝国大学3年。この間の約1年分の手紙、推定38、9通が残されていないのは実に残念である。

  特に、明治43年3月、父長四郎が一人上京し、ある蕎麦屋の2階で、金田一京助と長沼智恵子(後の高村光太郎夫人)の介添えで、もりそば1枚の結婚式を挙げたという。

  この頃の大事な手紙が含まれていたと思われるので本当に惜しい。

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