2009年 10月 25日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉85 小川達雄 ちゃんがちゃんがうまこ1

     一、荷馬車のこと

  わたしが宮沢賢治に惹かれた最初のきっかけは、昭和の末年、新宿・高層ビルのあいだの広場で、ちゃぐちゃぐ馬こを目にしたことによる。

  それはちょうど岩手県物産展があった時のことで、舞台の上ではサンサ踊りや剣舞連がにぎやかに披露されていた。そのあとやって来たのが、ちゃぐちゃぐ馬こだったのである。

  場内放送でその紹介があったものの、果してほんとにその馬がやってくるのか、半信半疑でいたら、にわかにあの鈴の音が響いて、しゃんしゃん、ビルの角から一頭の馬が現れて来た。手綱を引くのは、タオルを鉢巻きにした壮年の男である。

  のっしのっし、男は肩をゆすって歩き、たちまち馬は広場を横切り、隣のビルの角を曲がっていく。そのあとには、プウンと、鮮烈なあの馬のにおいが漂っていた。

  その馬の鞍には、房のついた草ずりが下がり、吹き流しとかいうさまざまな布が揺れていたけれども、その馬は、じつに昔むかし、わたしが子供の頃に町で見かけた、荷馬車の馬そのものであった。

  その頃、グワラグワラ、荷馬車が砂利道を行くと、ソレッ、とばかりに子供たちは荷台に後ろ向きになって座る。すると

  「こりゃあ、わらしゃんど!」

  馬車曳きの親父が怒鳴り、子供たちはワアッと、飛び下りて逃げ出す。

  盛岡でわたしは上田に住んでいたが、放送局のかなたまでの通りには、どこかで荷馬車が、グワラグワラ、音をたてていたように思う。高松池入り口の坂の右手には、南部曲がり屋の農家が続いて、そこでは馬をよく見かけることがあった。

  今回の写真は大正期の荷馬車のスナップで、昭和ひと桁生まれのわたしにとっては、じつになつかしい一枚である。宮沢賢治はこうした馬こが大好きな人で、その馬こが飾られてやってくる馬この行列を、夜明けの前から待ち続けた人であった。

  新宿のど真ん中で、とつぜん、昔むかしの馬こを目にして、しきりに賢治をなつかしく思った、それがわたしの賢治研究の始まりである。

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