2009年 10月 28日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉148 伊藤幸子 「白秋忌」

 山かげの君が門田の水(み)さび田はまだ凍みつきてくろき刈株
北原白秋

  わたしにはすぎたる稀覯(きこう)本がある。その本を開くたび、著者の息づかいはもちろんのこと、これを手にした人々の思いが感じとれて動悸する。昭和18年11月2日刊の北原白秋第九歌集「溪流唱」である。先年、わたしの還暦のとき尊敬する歌人よりお祝いにと賜ったので遺筆の題簽(だいせん)に湯ケ島の渓流と白秋の写真が載っている。

  これは昭和11年6月、白秋52歳のとき、成城へ移られて半年後、穂積忠氏の撮影とある。広々としたレンゲ畑で、ブチ犬に右手を預けてしゃがんでいる姿。白い帽子がレンゲの花群に置かれ、白い開衿シャツの面ざしもふくよかだ。

  そしてこの本には、もうひとつ素晴らしいお宝が息づいていて、本当に私ごときが頂いていいものかと彼の方に念を押したものだ。なんと「北原菊子 東京都杉並區阿佐ケ谷五ノ一」の名刺が挟まれてあり、「穂積忠様 恵存」とブルーブラックのインクで書かれている。

  年譜によれば、「大正十年四月佐藤菊子と結婚」とある。白秋と三人の妻については昭和59年瀬戸内晴美著「ここ過ぎて」に詳しいが小説とは違う生身の筆跡には心を揺さぶる力がある。

  まずその巻頭に「昭和十一年短歌研究三月号に発表 一部改訂さる」と美しい文字。集中菊子夫人のおびただしい書きこみが見られ、掲出歌は赤鉛筆の筆圧がくいこむようなまる印がしてある。「初稿ニナシ」とか一首まるごと初案の作が書かれているものもあり興味深い。

  この本が白秋一周忌を期して出版されていることを思うとき、悲傷を超えた夫人の出版への熱意、さらに時代柄資材印刷事情の厳しさも加わり難渋されたようだ。「日本出版配給株式会社 賣價四・六八」とあるのは四円六八銭のことか、決して安い額ではない。

  「山中は人に聴きつつおもしろし猿が蟹食み鹿山葵(ししわさび)くふ」白秋のわらべ心をしのばせる歌。詞書に「昭和九年六月初旬、伊豆湯ケ島、天城に遊ぶ。東道は穂積忠なり」と記す。東道とは中国の故事から客の世話人や案内人のこと。この本が菊子夫人から穂積氏に贈られ、その後どんな経緯をたどったものか不思議でならない。少しく黄ばんだ夫人の名刺を掌に、十一月二日白秋忌を迎えようとしている。


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